海軍では航海中の脚気患者の増加が大問題であったが、脚気はドイツのベルツが提唱した細菌による伝染病説が当時定説となっていた。しかし、練習航海中の脚気患者も、停泊地のホノルルで現地食を取っている間に病状は回復することから、高木は細菌原因説を疑い白米偏重の食事に原因がある考え、実験でもそれを確認する。しかしそれでも陸軍では、貧しい兵隊のため白米食を与えることを必要不可欠と考えていた。
しかし、東京大学医学部、陸軍軍医部・森軍医総監は高木説には学問上の理論的裏づけが無いと反対し、ばい菌による空気伝染説に固執し、その後も方針を変えなかった。日露戦争における陸軍の戦死者は約47,000人であったが、脚気患者は211,600余人であり、脚気による死亡者は27,800余人という誠に悲惨な数であった。一方、海軍ではというと脚気患者は皆無であったという。
鈴木梅太郎らにより脚気の原因としてヌカの中にビタミンを発見したのは大正元年(1912)であるから、高木兼寛はその30年前にその原因が食物にあることを証明していたことになる。脚気予防の功績を世界に認められた高木であったが、日本の医学会からは無視され続け、それでも生前男爵に叙せられている。しかし相対する森鴎外には周囲の人が男爵あるいは子爵に叙せられているのに、彼にはその話は上がらなかったという.
関連記事:・白米食にこだわる森鴎外と高木兼寛の対立(2011年1月 4日)
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