栽培学概論の講義の最初に、食料問題と森鴎外の関係を知っている人は?と聞くと、たいていの学生は面食らっている。殆どの人にとって、森鴎外は文学者としての側面が大きい。しかし彼は反面、陸軍軍医総監であり日露戦争期における軍医のトップにある森林太郎でもあった。
日清戦争中の海軍での脚気患者は出動人員3,096名中34名で、死亡者はわずか1名であった。しかし、陸軍では戦死者977名・戦傷死者393名に対し、脚気にかかって死亡したのはなんと3,944名であった。森林太郎は第2軍の軍医部長であり、高木兼寛は海軍軍医総監であった。高木兼寛は旧薩摩藩出身で戊辰戦争に医師として従軍し、その後海軍省に入り明治8年(1875)英国留学を命じられ、病気治療を目的とするイギリスの臨床医学を学んで帰国する。森林太郎は津和野藩出身で東京大学医学部を卒業後陸軍に入り、明治17年(1884)ドイツ留学を命じられ、細菌学の目覚しいドイツ医学の強い刺激を受けて帰国する。当時のドイツは基礎医学の学理によって多くの発見がなされ、世界の最高レベルにあった。
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