カテゴリー「・日本の街角 Hilights of Japan」の38件の記事

2023年3月31日 (金)

・山中温泉でのんびり温泉につかってカニを頂いた後、芭蕉の館で芭蕉の俳句を楽しみました

 

コロナも落ち着いてきたので、しばらくどこにも行っていなかったので旅行に行こうと、ネットで検索を

しました。これが良いと予約をしかけて、はたと気がつきました。5年前に行ったのと同じ企画だと。温

泉に入って、カニを食べて、芭蕉の足跡をたどる旅! 違うのは前回はと紅葉の時期で、今回はツバキの

時期だったことくらいです。カニ尽くしの様子芭蕉の足跡樹齢2300年を超す大杉の事は先の記事をご

覧ください。

今回は奥の細道の最終コースで山中温泉を訪れた芭蕉の足跡を、芭蕉の館から紹介します。

芭蕉は江戸時代前期の俳諧師で、俳句を単なる言葉遊びの芸事から世界で最も短い詩として、文学にまで

高めました。1644年に伊賀上野に生まれ、松尾家は土豪であって名字帯刀を許されていましたが、身分は

百姓でした。藤堂家に勤めていて、その主人と共に、京都の北村季吟に師事して俳諧の道に入りました。

30歳を過ぎてから江戸に出て、俳諧の宗匠となり俳号は「桃青」で、後に「芭蕉」と改めました。1869

年(元禄2年)3月に、門人の河合曽良を伴い、西行法師の500回忌を記念し、東北、北陸への旅に出まし

た。これは西行や能因法師らの歌枕や名所旧跡を辿る目的を持っており、多くの名句が詠まれました。

夏草や兵どもが夢の跡(岩手)、閑さや岩にしみ入る蝉の声(山形)、五月雨をあつめて早し最上川

(山形)、荒海や佐渡によこたふ天河(新潟)などは誰でも知っている俳句でしょう。芭蕉と曽良は5か

月をかけた2400Kmの行程で東北と北陸を回り、美濃国大垣で旅を終えます。この旅の体験を基にして、

紀行文「奥の細道」を5年後に完成します。

 

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芭蕉の館

奈良時代の僧行基を開祖として開かれた山中温泉は、芭蕉の逗留によって一層有名になりました。芭蕉が

逗留した泉屋の当主はまだ14歳の少年で、芭蕉により俳句の手ほどきを受けて「桃妖」の俳号を貰ってい

ます。泉屋に隣接した扇屋別荘を改築してできた山中温泉最古の宿屋建築が、現在の「芭蕉の館」になっ

ています。

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2020年9月17日 (木)

・岩手県が生んだ薄幸の詩人「啄木のふるさと」の絵葉書を学生時代に買っていましたが、それが書棚から出てきました

 

学生時代には、リュックを担いで日本中を旅行していました。たいていは山岳地帯でしたが、その合間には

観光地に行くこともありました。そんな旅行の一つで、岩手県の小岩井農場を訪れたり、石川啄木の足跡を

追ったこともありました。断捨離で書棚を整理していると、その際に買ったと思われる「啄木のふるさと」

の絵葉書が出てきました。スケッチ入りで懐かしい短歌が示されていますので、ここに紹介します。

絵葉書の説明から彼の略歴を引用します。石川啄木は本名一(はじめ)といい、明治十八年十月二十八日、

岩手県岩手郡玉山村常光寺に住職石川一禎の長男として生れました。一家は間もなく隣村渋民村に転住し、

そこで幼少年時代を送りました。唯一の男子として両親の愛情を一身に受け、村人からは神童と騒がれ、気

位高く育ちました。

渋民小学校を卒業、盛岡高等小学校を経て盛岡中学校に学び、明治三十五年秋卒業を目の前にして退学上

京、三十八年二十才で処女詩集「あこがれ」を出版し、天才詩人の評判を得、その年に堀合節子と結婚しま

した。しかしその後生活苦のため母校渋民小学校の代用教員をしたり、北海道を漂浪して地方新聞記者生活

などを続け、明治四十一年作家を志して上京、四十三年歌集「一握の砂」を出版しました.その間.分散し

ていた家族を東京に集めたが、生活苦、家内の不和、病気、病死など相次ぐ不幸の内、明泊四十五年四月十

三日東京小石川久堅町一隅で二十六才七ヶ月の短かい生涯をとじました。

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「啄木のふるさと」絵葉書

どこで買ったのかは忘れてしまいましたが、発行は田口写真館、デザインは関口定雄、企画は福田芳文堂と記されています。

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2019年10月 6日 (日)

・豊田市美術館で開催中の「クリムト展 ウイーンと日本1900」を拝見してきました

 

先に新名神経由で、名古屋にあるヤマザキマザック美術館で開催中の「ロイヤルコペンハーゲンのアール・

ヌーヴォー」を鑑賞したことを紹介しました。今回はその続きで、豊田市美術館で開催中の「クリムト展

イーンと日本1900」を鑑賞してきました。

今年はクリムトが亡くなって101年にあたり、あちこちでクリムト展が開催されているようです。以前、ク

リムトが亡くなって85年目の2003年にも、兵庫県立美術館でクリムト1900年ウイーン美神展があり、作

品を見る機会がありました。初めて彼の作品をまじかに見たのは1993年に、ウイーンのベルヴェデーレ宮

のオーストリア絵画館で、金の輝きに包まれた多くの女性の肖像画でした。彼の作品は多くの人に認められ

ていますが、時として彼の作品は公的には猥褻とみなされることもあり、公的な依頼での作品を描くことは

ありませんでした。クリムトはハプスブルグ家終焉の正に最後の炎がきらめく、19世紀末ウイーンが生んだ

時代の申し子です。クリムトはキャンバスには描き切れない「生きる喜び」を、金の輝きに託して多くの作

品を描きました。

 

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クリムト展ペーパーバッグと作品紹介冊子

左は2003年クリムト展のペーパーバッグ、中は2019年のクリムト展の作品紹介冊子、右は2003年クリム

ト展の作品紹介冊子です。

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2019年9月 9日 (月)

・名古屋のヤマザキマザック美術館で開催中のロイヤルコペンハーゲンのアール・ヌーヴォーの可愛い動物たちを拝見してきました

 

前回、名神経由で草津から新名神経由で名古屋に比較的早く行けることに伴い、お伊勢参りをしたことを紹

介しました。この新名神経由で、今回は名古屋にあるヤマザキマザック美術館で開催中の「ロイヤルコペン

ハーゲンのアール・ヌーヴォー」鑑賞と、その後豊田市美術館で開催中の「クリムト展 ウイーンと日本

1900」観賞するバスツアーに参加しました。ヤマザキマザック美術館は、名古屋の中心地葵町に、2010

年4月に開館しています。工作機械メーカーのヤマザキマザック創立者である初代館長山崎照幸が蒐集し

た、18世紀から20世紀にわたるフランス美術300年の流れを一望する絵画作品及びアール・ヌーヴォーの

ガラスや家具等、ヤマザキマザックのコレクションを所蔵・公開しています。この4階にアール・ヌー

ヴォーのガラス工芸や家具が展示されており、2019年.4月20日~8月25日までロイヤルコペンハーゲン

のアール・ヌーヴォー」が開催されています。

 ロイヤルコペンハーゲンは1775年創立のデンマーク王立磁器メーカーであり、クリスマスのイヤープ

レートや、青い小花をレース状に描いたブルー・フルーテッドの食器などが有名です。先に2000年の千年

祭の記念プレ-ト(ロイヤル・コペンハーゲン)を紹介しています。今回の展覧会では、19世紀末から20

世紀初頭にかけて欧米で流行したアール・ヌーヴォーの時代に、デンマークから世界に向けて発信された美

しく愛らしい釉下彩の数々が紹介されています。釉下彩とは顔料であらかじめ描いた絵の上に釉薬をかけて

焼成する方法です。奥行きのある絵画的な空気感を醸し出す釉下彩の表情は、世紀末の人々を虜にし、デン

マークや日本をはじめ世界各国でもてはやされました。

 

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ロイヤル・コペンハーゲンのアール・ヌーヴォー

 可愛い子犬の作品が示されたロイヤルコペンハーゲンのアール・ヌーヴォー」のポスターです。

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2019年8月30日 (金)

・小学校の修学旅行以来久しぶりに二見が浦に参拝し、それから伊勢神宮の外宮と内宮を参拝してきました

 

 家人の希望でお伊勢参りをしようということになり、新聞に載っていた阪急交通社のバス旅行に参加しま

した。京都駅アバンテイ前に8時20分に集合し、名神経由で草津まで行き、そこから新名神経由で伊勢市に

向かい、まず二見が浦に行きました。途中は雨がかなり降っていましたが、伊勢市に近づく頃に雨は上が

り、太陽も顔を出してきました。実は二見が浦に来るのは、昭和31年11月6日の小学校の修学旅行以来で

す。覚えていた二見が浦とはずいぶん異なり、観光地として整備がかなり進んでいました。その後、伊勢夫

婦岩めおと横丁で伊勢神宮奉納食材を用いた縁起の良いお食事を頂き、伊勢神宮へと向かいました。所定の

順序通り外宮・内宮を参拝し、おかげ横丁を散策したのち、また同じ経由で京都に戻りましたが、バスに乗

るとまた雨模様となりました。

 お伊勢参りには6年前にも、20年に一度の社殿の造り替えの大祭が終わったばかりの2013年にも来てい

ます。外宮と内宮の説明はその折に紹介していますので、今回は省略します。また外宮には今から1500年

前に、天照大御神の食事をつかさどる御餞都神(みけつかみ)として、丹波国の籠神社(このじんじゃ)か

ら豊受大御神が迎えられています。先に「・京都歴史探訪・浦島伝説ととよを祭る元伊勢の社の籠神社」で

紹介しましたように、大和王朝では滅ぼした出雲大朝の助けを借りて祟りを鎮めるために、手厚くお祭りす

る必要があったようです。

 

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伊勢神宮参拝

 左の6枚のスタンプは、小学校の修学旅行で記念に押したスタンプ帳(旅の思い出)がありましたので、

そこからスキャンしました。右上は二見が浦、右下は伊勢神宮・内宮です。

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2019年8月 5日 (月)

・6月に久しぶりに阪急十三駅に行き、宝塚線通路に描かれた手塚治虫作品のイラストを拝見してきました

 

6月に高校の生物研究部のミニ同窓会があり久しぶりに、東京、京都、大阪の仲間が十三に集まりました。

私たちの母校である大阪府立北野高等学校は、大阪府が最初に設置した旧制中学校を母体にした学校で、文

武両道をモットーにしてきた自由な雰囲気の学校です。阪急の十三駅から歩いて15分くらいの距離で、淀川

の河畔にあります。十三をじゅうそうと読める人は大阪では当たり前ですが、関西以外では読める人は少な

いでしょう。

その由来は諸説ありますが、その一つはかつて当地に存在した中津川の渡しが淀川の上流から数えて13番目

の渡しであったとする説で、説得力があります。古い歴史を有する学校であり多くの文化人、学者、芸術家

などの多くの先輩がおられ、手塚治虫氏、森繁久彌氏、佐伯雄三氏も先輩の一人です。

宝塚市に手塚治虫記念館がありそのためか、宝塚線通路の壁に手塚治虫作品のイラストと宝塚線の沿革と手

塚治虫氏の履歴もイラスト化されています。いつもそのイラストが気になっていましたので、この際写真に

撮ってじっくりイラストを拝見しました。

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鉄腕アトム:阪急宝塚線

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2018年12月21日 (金)

・石川県・八幡神社には天然記念物で樹齢2300余年の三又(みつまた)大杉があり、2代目の杉も育っていました

山中温泉に着いた日、夕飯までに時間がありましたので旅館前の道を南西に取り、三又になった天然記念物の大杉がある八幡神社へ行くことにしました。この旅館前の道は永平寺につながる昔からの街道のようでした。八幡神社の横を流れる大聖寺川の対岸にはやはり天然記念物の栢野大杉があるようで、いずれも樹齢2300年以上あるとのことでした。八幡神社について書かれている、「神社と古事記」のホームページによるとこの辺りの菅谷村の起源は、縄文時代の遺跡が発見されていることから5000年以上もさかのぼるとされています。

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八幡神社の三又大杉

1本に伸びるはずの幹がどうしたことか、途中から三又になりそのまま三本の幹が長く伸びています。

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2018年12月19日 (水)

・石川・山中温泉にあの芭蕉が奥の細道の旅で寄っていたのを知っていますか?

山中温泉に来て、せっかくだからと温泉街を散策しました。片岡鶴太郎の工藝館などもありましたが、芭蕉の館があるのに驚きました。松尾芭蕉は元禄文化期に活躍した俳人で、三重県伊賀出身の人です。崇拝する西行の500回忌にあたる1689年に、門人の河合曾良を伴って江戸を発ち、奥州、北陸道を巡って旅行記・『おくのほそ道』を書きました。「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という序文より始まる文章は、確か国語で習った覚えがあります。全行程約600里(2400キロメートル)を、日数約150日間で歩いたようです。東北へ旅行したのだろうという印象だけで、北陸に来たとは知りませんでしたので、山中温泉で芭蕉の館を見つけたのには驚きました。奥州を廻ったのち北陸道に回り、加賀、越前、近江を通過して旧暦96日美濃大垣に至り旅を終えたようです。

途中で次のような名句を詠んでいます。

「夏草や兵どもが夢の跡」(岩手県平泉町)

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」 (山形県・立石寺)
「五月雨をあつめて早し最上川」 (山形県大石田町)
「荒海や佐渡によこたふ天河」 (新潟県出雲崎町

 山中温泉では727日から85日まで、大垣を目前に安堵したか八泊して、次の句を作っています。

「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」

「今日よりや 書付消さん 笠の露」

 

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芭蕉の館

 芭蕉の館の入り口には、芭蕉の句碑があり、またその横には芭蕉と弟子の曾良の別れの姿を示す像がありました。

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2018年12月12日 (水)

・石川・山中温泉お祝いの宿で蟹づくしを堪能する2日間の旅行に行ってきました

日頃の家人の食事万端などの世話をねぎらうため、11月中旬に山中温泉にカニを食べに行くことにしました。JR特急サンダーバードで行って、蟹づくしを頂いて温泉旅館に泊まって一人2万円ちょっと(保険付き)では格安の感じでした。そのわけは昼間の特急を使う点にあるようで、京都駅を1140分に出発しました。久しぶりに特急利用の北陸行きで、列車は快適に湖西線を通って1330分に加賀温泉に着きました。旅館の送迎バスは1430分からのため、約1時間ほど駅前の休憩所でお土産などを見て時間を過ごします。間もなく迎えのバスが来て旅館に向かい、山中温泉の街を抜けお祝いの宿に向かいました。思っていたより立派な旅館でまずチェックインを済ませ、夕食まで近くの名所を散策しました。旅館に戻ってひと風呂浴び、待ち兼ねの蟹づくしの夕食となりました。

 

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京都駅

 久しぶりの旅行に訪れた京都駅では、旅行に出る人で迎える人で満ち溢れており、2階には大きなクリスマスツリーも飾られていました。

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2018年9月 5日 (水)

・丹波篠山の玉水ユリ園で60品種・10万株のユリを鑑賞してきました(2:花弁の八重化)

先に丹波篠山で見た、玉水ユリ園で60品種・10万株のユリを紹介 しました。その際花弁数が増えて八重化する一方、雄しべの数が減少している品種がありました。詳しく見ると、6本あるおしべの数が減少しながら、その分花弁数が増加しているように思われましたので、その様子を紹介します。

八重咲きの花における内側の花弁は、雄しべや雌しべが花弁化して八重咲きになっています。花弁はもともと雄しべや雌しべを囲む葉に由来しており、雄しべや雌しべもやはり葉が起源なのです。いずれも葉に由来するものなので、それらがすべて花弁化す可能性はありますが、何故花弁化するのかは不明です。

実際に個々の八重咲きの花を見ると、様々な点で異なっているようです。普通の八重咲きは、雄しべや雌しべが花弁化したものなので、当然ながら雄しべや雌しべはないはずですが、実際には雌しべは正常に残っている場合もあります。また、がく片も花弁化する種類もありますが、がく片は普通の葉が花になりかけた最初の器官になりますので、やはり八重化するのでしょう。

雄しべ花弁化する例としたシャクヤクがあり、またガク片に相当する総苞が花弁化する八重ドクダミの例も 先に紹介していますので、併せてお示しします。

 

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八重のユリ、ドクダミとシャクヤク

 上段左は6本の雄しべが花弁化しており、その右は2本のしべが花弁化したユリの花です。下段左は花序の下にある総苞が花弁化した八重のドクダミ、その右は雄しべが花弁化した八重のシャクヤクです。

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