カテゴリー「・日本の街角 Hilights of Japan」の22件の記事

2017年8月15日 (火)

・長崎の平和記念公園から浦上天主堂を再び訪れることができました

長崎では先に大浦天主堂を訪れたことを書きました、せっかく長崎まで来ましたので市電で松山駅まで行き、平和記念公園に向かいました。

平和記念公園ではいつものことながら多くの観光客や高校生などがたくさん訪れていました。中には小学生の一団が先生に引率されて入ってきて、どうするのかと思ってみていました。すると平和記念像の両側に千羽鶴の保管場所があるようで、代表が持ってきた千羽鶴を吊るしていました。平和記念公園からは浦上天主堂は良く見え、一休みした後天主堂に向かいました。

 浦上天主堂は、1945年(昭和20年)の長崎への原爆投下によって破壊されましたが、1959年(昭和34年)に再建されました。1962年(昭和37年)以降、カトリック長崎大司教区の司教座聖堂となっており、所属信徒数は約7千人で、建物・信徒数とも日本最大規模のカトリック教会です。

天主堂のすぐそばに長崎医大があります。長崎医科大学(現長崎大学医学部)永井助教授は原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭に重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を「長崎の鐘」に書いています。被爆時に大学や長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく同僚や市民たちの様子を克明に描いています。永井博士はこの時妻を亡くし、また自身も救護の際には、頭部の重症と疲労から自らも危篤状態におちいるが、同僚医師や看護婦たちの努力により一命を取り留めました。「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のことです。

 

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平和公園から見た浦上天主堂

長崎の町にキリシタンが伝えられた1567年ごろから、浦上にもキリシタンの布教が行われ、1584年、有馬晴信が沖田畷の戦の勝利の感謝のため、イエズス会の知行地として寄進したことによって、浦上は名実共にキリシタンの村になった歴史があります。

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2017年8月 8日 (火)

・長崎の出島と鳴滝で医学、博物学その他の知見を伝えたシーボルトの足跡を記念館で見る

長崎では江戸時代の鎖国の間も出島ではオランダと中国との交易はされており、世界に開かれた町でした。ヨーロッパの学問の進展はオランダを通して伝えられ、そこにはシーボルトの貢献は大きく、医学、博物学その他の最新の情報をもたらしました。

フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルトPhilipp Franz Balthasar von Siebold, 17961866)は、ドイツの医師であり博物学者でもありました。ドイツ語での発音は「ズィーボルト」ですが、日本では「シーボルト」として知られています。シーボルトという姓の前にフォン (von) が添えられおり、これは貴族階級を意味します。

東洋学研究を志したシーボルトは、1822年にオランダのハーグへ赴き、オランダ領東インド陸軍病院の外科少佐となります。滞在中にオランダ領東インド総督に日本研究の希望を述べ認めて、1823年に27歳で来日し、長崎の出島のオランダ商館医となりました。出島外の鳴滝塾を開設して西洋医学(蘭学)教育を行い、日本各地から集まってきた多くの医者や学者、例えば高野長英などに講義しました。

 

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シーボルトと植物

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2017年7月30日 (日)

・長崎の大浦天主堂を15年振りに訪れ「日本之聖母像」と「信徒発見」レリーフを見てきました

15年振りに長崎を訪れる機会がありました。暑い時期でしたが、中々チャンスはないので思い切って家人と出かけました。今回の訪問予定は、大浦天主堂、シーボルト記念館、浦上天主堂、26聖人記念館とハウステンボスなどでした。久しぶりの伊丹空港ということで、京都からの行き方を調べると大分以前と変わっています。モノレールが伊丹空港まで行っていたのは知っていましたが、阪急電車の南茨木市駅で乗り換えるのが最も便利で、早く伊丹空港に着きました。1時間15分のフライトで長崎空港に着き、長崎空港からはリムジンバスで長崎市内に向かい、ホテルにチェックインした後、市電で大浦天主堂に向かいました。

大浦天主堂は、江戸時代末期の1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物です。正式名は日本二十六聖殉教者堂で、その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。大浦天主堂は二つの歴史的出来事と密接に関わっています。一つは、1597年日本で最初に殉教した日本二十六聖人たちに捧げられた教会です。もう一つは1865年におきた信徒発見です。大浦天主堂が1864年にたてられた翌年2月に、浦上の隠れキリシタン達が信仰告白をして名のりを挙げました。プティジャン神父は大喜びでフランス、ローマに報告しています。

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大浦天主堂

市電の大浦天主堂下駅で下車して、石畳の坂を上っていくと間もなく大浦天主堂に着きました。天主堂の入り口には「日本之聖母」像が見え、その上には建設当時の神を表す「天主堂」の文字が見えます。天主堂右の建物は旧羅典神学校で、その右下の建物は

旧大司教館です。

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2016年11月 5日 (土)

・北海道の函館にある「天使の聖母トラピスチヌ修道院」は何か心惹かれる所です(2)

英国に住んでいた時滞在していたロンドン大学ワイカレッジは、ほかの大学と同様に教会に属するラテン語学校から発達してきています。だからワイチャーチの牧師も大学行事に参加していて、学生にいつも教会に来るよう話しかけていました。しかし若い学生のミサへの参加は、減ってきているようでした。時々日曜日のミサに参加しましたが、村人の多くは参加して一週間の行動を振り返っているようでした。私も日本ではまれにしかお寺や神社に行かず年一回だけ天竜寺の座禅に参加するぐらいで1週間の生活を振り返ることなく過ごしています。

前回聖母トラピスチヌ修道院の来歴、設備やお土産品などを紹介しました。この修道院は祈りと労働を主要な手段として、神と人々に奉仕する隠世共住修道会です。その厳しい毎日の修道生活を、修道女の生活から紹介します。

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トラピスチヌ修道院

修道院は木々と緑に囲まれ、公開部分は左の図のようで、白い線で示した内側です。

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2016年11月 1日 (火)

2016.11.01・北海道の函館にある「天使の聖母トラピスチヌ修道院」は何か心惹かれる所です

北海道には連絡船の時代から何度か旅行に訪れ、特に函館にはエキゾチックな雰囲気を残す函館ハリストス正教会、五稜郭などがあり、特にトラピスチヌ修道院には何度か訪れました。子供の頃に母に連れられ、巡回牧師が来られる日曜学校に行っており、讃美歌や聖書の話には何度か触れていました。そんなことから海外でもよく教会を訪れていまして、海外の修道院にも行ったことがあり、なんとなく修道院は気になるところでした。特に、幼友達のEさんが病魔に侵され、キリスト教に助けを求め、トラピスチヌに行きたいと言っていたことを思い出します。現在の進んだ医学でも、中々完全治癒のできない病気がり、精神的拠り所をどこに得られるかは大きな問題です。

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トラピスチヌ修道院

 右は聖母マリア像、左は読書をしている修道女。

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2015年9月15日 (火)

・今年のお盆には、イルカと楽しく遊べる日本ドルフィンセンター(香川県さぬき市)へ孫たちと行きました

今年のお盆には長男のところに次男が生まれましたので、全家族お盆休み高松に集まって過ごすことになりました。帰省ラッシュに巻き込まれながら、次男家族鳴門ビンビ屋で新鮮なお魚料理をとるつもりでした。びんび屋は以前に、ブログで紹介したことがあります。しかし誰が考えることも同じで、びんび屋超満員で、警察のパトカーが出て整理をする有様でした。やむなく他の店昼食をとり津田海岸を目指しました。お目当ては津田松原手前にある、日本ドルフィンセンタ-イルカとの触れあいをすることで、センター長男家族合流しました。

 

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イルカのジャンプ

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2015年8月22日 (土)

・京都から琵琶湖クルーズと伊吹山・お花畑へのバス旅行3(伊吹山山頂のお花畑2)

酷暑京都市内を離れ、琵琶湖クルーズの遊覧船で多景島をめぐり、琵琶湖の大きさを満喫しました。またその後伊吹山ドライブウエイを快適に進み、いよいよ標高1260スカイテラス駐車場に到着し、お花畑を散策しました14種類の高山植物のお花を見つけ、そのうち6種類を前回に紹介しまして、今回は残りの8種類紹介します。必ずしも高山植物とは言えないものもありますが、ここ伊吹山にしか生息していない種類も幾つかありました。また1種類だけでなく、23種類は混ざって一緒に群生して生えているところもたくさんあり、本当にお花畑様相でした。


 

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伊吹山の花々

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2015年8月17日 (月)

・京都から琵琶湖クルーズと伊吹山・お花畑へのバス旅行2(伊吹山山頂のお花畑1)

酷暑京都市内を離れ、琵琶湖クルーズの遊覧船で多景島をめぐり、琵琶湖の大きさを満喫しました。またその後バスに戻り、伊吹山ドライブウエイを快適に進み、いよいよ標高1260スカイテラス駐車場に到着しました。先に書きました通り、頂上見上げるとはるかかなた遠くに歩いているが見えますが、登りが待ち構えていることはとんと忘れていました。覚悟を決めてルートを検討すると、登りルートは二つあり約40分の西登山コースと、急こう配の階段を上る約20分の中央登山道コースがありました。そこで、お勧めの時間はかかるがこう配の緩やかな西登山コースで登り、下りに中央登山道コースを取ることに決めました。開花していた数・種類は結構多く2回に分けて紹介します。

 

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伊吹山のお花畑マップ

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2015年8月13日 (木)

・京都から琵琶湖クルーズと伊吹山・お花畑へのバス旅行1(多景島クルーズと伊吹山ドライブウエイ)

京都例年にない暑い日が続きておりそれを逃れ、7月下旬には伊吹山お花畑満開になる見込みだとのことで、申し込んでいました。当日730分に京都駅南口駅前広場バスは定刻に出発し、一路琵琶湖を目指しました。快適に高速道路を走り、9時半頃には彦根に到着し、彦根藩井伊家の居城であった彦根城が見えてきました。には琵琶湖クルーズ遊覧船が、停泊していました。うっかりと竹島クルーズと思っていましたが、同じ発音でも多景島クルーズとかで、目を白黒しました。

そこで、今回は多景島クルーズ伊吹山ドライブウエイで見た山なみを紹介し、次回に伊吹山お花畑を紹介します。

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納涼バス旅行

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2015年6月20日 (土)

・北海道の余市で見事なサクランボとリンゴ、ブルーベリー、プルーンの果物を見てきました

北海道余市6月末に行く機会があり、見事なサクランボを見て来ました。サクランボといえば山形産が有名ですが、実は明治初年に北海道サクランボ栽培が始まった歴史があります。明治新政府農業近代化促進のため、西欧の野菜・果物の導入のため、まず気候風土がヨーロッパに似た北海道でこれらの栽培技術・品種改良が始められました。農業教育機関として札幌農学校駒場農学校と共に、京都府農牧学校京丹波に設置されたことは先に、「日本三大農業教育発祥の地・京都府農牧学校の跡」で紹介しました。

余市にはNHKドラマ「マッサン」で有名になったニッカウヰスキーがありますが、冷涼な気候で果樹栽培にも適しており、サクランボ、リンゴに加えプルーン、ブルーベリーが栽培されており、余市で見かけたそれらの果物を紹介します。

 

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余市の果物

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