カテゴリー「・京の街角 The Hilight of Kyoto」の120件の記事

2024年4月15日 (月)

・今年も4月に平野神社の桜苑に行き、紅枝垂れ桜や寝覚めの桜を境内で見てきました

 

平野神社は奈良の平城京の宮中に祭られていて、御所や都の災いを鎮めるお守りをしていました。

794年に桓武天皇平安遷都に伴いこの地に鎮座してきた神社ですが、神社ごと京都に移ってきたの

は、数ある神社の中でもここ平野神社だけです。平野神社には原木の桜など貴重な品種や珍種も多

く、その種類は約60種400本あります。源氏物語に平安人がを愛でていたことが書かれています

が、平野神社で大宮人が花宴を楽しんでいたことでしょう。円山公園の枝垂桜の祖の桜も含め、境内

には約400本の桜があり、春の夜桜は特に有名です。

平野神社の桜については、2014年に彼岸枝垂れ桜や河津桜などの早咲きの桜が咲いていること、

2017年には目覚、八重紅枝垂れ、御衣黄桜や八重桜を、また2021年2022年には御衣黄桜と鬱金

の花を紹介ています。

4月に境内と桜苑で見た桜の花を2回に分け、ここには境内で見た枝垂れ桜、魁(さきがけ)、寝覚、

八重紅枝垂れ桜を紹介します。

 

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平野神社

今年も桜を見ようと多くの人が訪れて、シャッターを切っていました。

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2024年3月31日 (日)

・今年も北野天満宮で菅原道真公遺愛の紅梅・白梅を見てきました(後編)

 

先には、2月末に北野天満宮で拝見した紅梅・白梅を紹介しました。ここにはその折に紹介出来なか

った紅梅・白梅の枝垂れを紹介します。

北野天満宮は全国各地に菅公をお祀りする天満宮や天神社の宗祀(本社)であり、約2万坪の境内に

50種約1,500本の梅があります。北野天満宮のHPによれば、早咲きの梅は例年12月中旬頃からつ

ぼみがふくらみ始め正月明けに冬至梅・照水梅・寒紅梅等が寒さの中、春を告げるかのように咲き始

め境内一円馥郁(ふくいく)な香りで包まれるとしています。梅苑は例年2月初旬に公開され、2月下

旬から3月中旬までが最も美しい時期となります。また、天正17年(1589)に豊臣秀吉が京都市内

の区域を定めその境界と水防の為、京都の四囲に築造した御土居(国指定史蹟)の一部がいまも境内

に残っており梅苑内で同時公開されています。梅苑には和魂梅(わこんばい)・黒梅(こくばい)・

座論梅(ざろんばい)・緋の司(ひのつかさ)等の珍種も多く3月下句まで公開されています。過去

には品種名を梅の木につけていましたが、挿し穂を取ろうと枝が折られたために、今では品種名がつ

けられていないようです。

 

 

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紅枝垂れ梅1

まっすぐ伸びた梅の貴も素敵ですが、しだれ梅も独特のたおやかな雰囲気があります。樹木の緑を背

景にした、紅枝垂れ梅と灯篭の取り合わせです。

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2024年3月30日 (土)

・今年も北野天満宮で菅原道真公遺愛の紅梅・白梅を見てきました(前編)

 

北野天満宮には菅原道真公ゆかりの紅梅、白梅が植えられていて、2022年にも2023年にも訪れそ

の花を紹介しています。

菅原道真公は宇多天皇にその才能を認められ抜擢され右大臣となりましたが、左大臣藤原時平にねた

まれ、九州の太宰府に流罪とされました。昌泰4年(901)1月25日に流罪が決定され、2月1日には

あわただしく京を出立しますが、その際自宅で「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしと

て 春な忘れそ」と詠まれた時の心境はどれほど悲しかったことでしょう。その「飛梅」の木は今も本

殿前に植えられています。

京に残された奥方の事を心配しながら、左遷2年後の延喜3年(903年)2月25日に、享年59歳で薨

去されました。道真公の亡くなられた年から日照りが2年続き、更に疫病が流行り京では多くの死者

がでました。

わずか30余年の間に道真公の讒訴(ざんそ)に関わったとされる天皇1名、皇太子2名、左大臣・右

大臣各1名以下多くの高級貴族達が没しました。これら一連の出来事は、道真公の怨霊の仕業と思わ

れ、祟りを鎮めるために、社殿には天徳3年(959)に右大臣藤原師輔(時平の弟・忠平の子)によ

り御神殿が造営され、それが現在の北野天満宮です。菅原道真公が流罪後、怨霊から御霊神になった

事については、Kyoto Love, Kyotoに前編後編に分けて紹介しています。実在した人物が祭神に

なったのは、道真公が初めての事でした。

ここには今年拝見しました紅梅と白梅の花を紹介します。

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紅梅1

本殿横の紅梅です。幹の黒色と紅梅の朱色、それに背景の本殿屋根の緑色の対比が鮮やかです。

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2024年3月23日 (土)

・段飾りにおける内裏雛、三人官女並びに左大臣・右大臣の飾り方について

 

弥生三月にはお雛様が飾られますので、2013年には皇室ゆかりの宝鏡寺で皇女和宮に愛された有職

雛や孝明天皇ご遺愛の御所人形を紹介しました。また、2015年には京都市内のホテルロビー数カ所

に飾られた飾りのお雛様を紹介すると共に、「うれしいひなまつり」の歌詞のうっかりミスを紹介

しています。更に、2019年には西陣織物で栄えた豪商の集まる千両が辻で開催された第4回「千両

ガ辻での雛祭り」での、江戸期から昭和までのお雛様と、段飾り以外の親王飾りと立雛などを紹介

ました。その後コロナ騒ぎで開催が延期されていた雛飾りが、今年は5年ぶりに第5回「千両ガ辻での

雛祭り」が開催されましたので、見学に行ってきました。今回は特に、「千両ガ辻での雛祭り」で見

た京雛の飾り方におけるお内裏様、三人官女と左大臣・右大臣の並べ方について紹介します。

 

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お雛様(ホテルグランビア京都)

ホテルグランビア京都で2015年二見たお雛様です。段飾りのお雛様では第1段には内裏雛、第2段に

三人官女、第3段に五人囃子、第4段には左大臣・右大臣、第5段に下働きをする仕丁(しちょう)を

飾ります。

京雛では内裏雛の男雛は向かって右に、女雛は左に並べますが、関東雛では逆になります。これは内

裏雛の男雛は本来天子であり、「天子南面す」といわれるように、天子は正式な儀式では必ず南を向

いて席につきます。更に東西南北の方角にもランク付けがあり、最高位は太陽の昇る東でした。その

ため男雛も南向きに置かれていて、右側に飾ります。同様にして左大臣は東側に、右大臣は西側の席

に着くので、向かって右に左大臣、左に右大臣を並べます。

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2024年1月 6日 (土)

・京都伏見の歴史を尋ねて(3)油掛通の油懸地蔵、西岸寺の芭蕉句碑と市電発祥の地などの歴史の跡(了)

 

先に、京都伏見の歴史を尋ねて(1)として御香宮境内の残る歴史の跡を、その(2)として御香宮境

内、大手筋商店街から寺田屋に残る歴史の跡を紹介しました。今回はその(3)として、かっては大

手筋商店より以前に栄えていた油掛通界隈の歴史跡を紹介します。油掛け通りの地名の由来は、西岸

寺にある油懸地蔵の由来に因っています。平安時代初期に乙訓郡大山崎町にある離宮八幡宮で本邦初

の荏胡麻種子から荏胡麻油が搾られたことから、「本邦製油発祥の地」の碑があります。油の用途は

当初はお燈明用として始まり、その後には髪油、食用油と多岐にわたり拡大してきました。当初この

油は油座として、離宮八幡宮の許可を得た油商人だけが取り扱えました。一般庶民の明かり用の油は

鰯を原料とした魚油で、菜種油は蠟燭よりもはるかに高価でした。菜種油の値段は1升(1.8 ℓ)が、

今の値段で8000円くらいであり、お米の3倍の、超高級品でした。油に待つわる出来事が西岸寺で

石地蔵に起こった出来事から、この通り名が油掛通と命名されて有名になりました。

江戸時代には髪油を売り歩く者が、婦女を相手に話し込みながら商ったことから、「仕事を怠けて無

駄話をすること、あるいは仕事の途中で時間をつぶして怠けること」を、「油を売る」という意味に

も使われるようになりました。

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西岸寺

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2024年1月 4日 (木)

・京都伏見の歴史を尋ねて(2)御香宮境内、大手筋商店街から寺田屋に残る歴史の跡

 

京都南部の伏見は奈良と平安京の中間点に位置して平安時代には貴族の別荘地となり、藤原頼道によ

り宇治に平等院が建立されました。白河法皇は堀河天皇に譲位した後、鳥羽離宮を造営して白河上

皇として院政を続け、それは鳥羽上皇に引き継がれました。離宮は城南宮を取り囲むように造営さ

れ、政治文化の中心地となり、王朝文化が華を開きました。またこの地は鴨川、宇治川、淀川、桂川

に通じ、近くに巨椋池が湾入する水郷地でした。

江戸時代には伏見は幕府の直轄地であり、伏見港は幕府の公認の港町としてにぎわいました。京都市

のホームページによれば、1611年には御朱印貿易により財を築いた角倉了以が高瀬川運河を築き,

さらに南へと水路を掘りすすめ竹田から南浜へと延ばして淀川とつなぐことにより,京都と大阪が水

路で結ばれました。

中継地として水上交通の要となると,大小の船が集中するようになり,伏見港はさらに発展しまし

た。京橋付近が伏見港の中心で,参勤交代の西国大名の発着地となり本陣や脇本陣が置かれ,宿場町

として多くの旅人で賑わいました。京橋付近には土佐藩邸、会津藩駐屯地、伏見奉行所などもありました。

昭和4年(1929)には伏見町は伏見市になるも、昭和6年には京都市と合併して、京都市最大の伏見

区が誕生しています。

それでは前回の御香宮境内から続いて、歴史的旧跡跡を見ていきましょう。

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ソテツ

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2023年12月29日 (金)

・京都伏見の歴史を尋ねて(1)御香宮境内に残る歴史の跡

 

京都南部の伏見はかっては豊臣秀吉の城下町で、伏見城が築かれていました。秀吉により豪華絢爛な

「桃山文化」を開花させた地ですが、次いで徳川の世となり家康はこの地で幕府を開き、日本で最初

の銀座を設置して金貨、銀貨を発行しました。また高瀬川を開いて、京・伏見・大阪を一本の水路で

結び、伏見港を日本最大の河川港としました。幕末には官軍と幕府軍がこの地で戦い、新しい時代を

開きました。海運の便利さから重要性を増し、日本初の路面電車が伏見の下油掛から京都駅まで開通

しました。伏見城は1596年の慶長伏見地震で倒壊し、そのご再建されましたが、江戸時代になり

「一国一城令」により京には二条城だけ残すことになり、1619年に伏見城は廃城となりました。城

跡は後に明治天皇・皇后の墓所「伏見桃山陵」となりました。伏見城本丸跡一帯の少し北側に模擬天

守閣が立っています。これはかってあった「伏見桃山キャッスルランド」という遊園地で、この模擬

天守閣はその中央に立てられていました。

2003年に閉園となりましたが、地元からの要望もあり模擬天守閣は残されています。

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伏見マップ

大手筋通りに近鉄の桃山御陵前駅と京阪電車の伏見桃山駅が、その西には伏見大手筋商店街があり、

東側には御香宮神社の境内が広がっています。今回はこの御香宮神社境内にある歴史跡を紹介しま

す。

 

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2023年8月27日 (日)

・平野神社の建物には猪目模様のハートマークに加え、菊花紋と桜の神紋が見られます

 

神社仏閣などの建物のつなぎ目や釘隠しに、猪目(いのめ)文様と呼ばれるハートマークがよく見られま

す。屋根の合わさった部分は懸魚(けぎょ)と呼ばれますが、この懸魚や木のつなぎ目を隠す釘隠し金属

の装飾に使われる猪目模様は、日本の古い文様の一つです。このハートマークは猪(イノシシ)の目のよ

うに見え、イノシシは魔除け、福を呼ぶ、火事から守る、火伏(ひぶ)せの神様の使いなどとも呼ばれる

シンボルで、ハートマークが猪目と呼ばれています。お寺のハートマークは、お釈迦さまが悟りを開かれ

た菩提樹の葉の形に似ていて、「悟りの象徴」とされているようです。また魔除けや厄除けの意味もあり

ます。

このような猪目模様が平野神社では、神門、手水舎や社務所の懸魚や釘隠しなどに見られます。また特別

に菊の御紋(菊花紋)を中心にしてそれを取り囲む猪目模様や、更にここ平野神社の神紋である桜模様が

あしらわれているのも見られます。特に菊花紋、猪目模様、桜の神紋の3紋が揃った模様は、ここだけの

3点セットなので探してみようと表示されています。

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猪目マーク

左の写真は拝殿で、釘隠しや柱の角などの金属の飾りに菊花紋や猪目模様が見られます。右の写真では社

務所の柱の釘隠しのところに、中央には菊花紋とそれを取り巻く猪目模様と桜の神紋の3点セットが見ら

れます。

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2023年7月 1日 (土)

・5月中頃になると京都府立植物園のバラ園では色とりどりのバラが咲き揃ってきます(2)

 

先にバラにはツル性のツルバラ、ポールにツル性の強いバラを誘引するポール仕立て以外に、切り花に

もする大輪のハイブリドティー、更に房状に多くの中輪の花が咲くフロリバンダなどの種類があること

を書きました。バラはチベット、中国雲南省からミャンマーが原産地で、ここから中近東、ヨーロッパ

へ、また極東から北アメリカへ伝搬しました。最初は一重で5枚の花弁がありましたが、園芸的には八重

が好まれることから、多くの八重咲きで四季咲き性の品種が育成されています。モッコウバラも何度か

紹介しましたが、この品種は中国原産で一季咲きのつる性のバラです。花色は白色か黄色で一重と八重

があり、共にトゲが無いのが特徴です。

ここには前回に続き、京都府立植物園のバラ園で見たバラを紹介します。

 

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シェエラザード

2013年日本作出の品種で、強香があり半つる性のシュラブローズです。

四季咲き性で、花色はピンクグラデの奇麗な花です。

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2023年6月17日 (土)

・5月中頃になると京都府立植物園のバラ園では色とりどりのバラが咲き揃ってきます(1)

 

京都府立植物園のバラについては、2011年にはその1としてツルバラその2としてハイブリッドティー

その3としてフロリバンダその4としてポール仕立てのバラを紹介しています。それ以来2022年12月に

‛エドガードガ’のバラ迄、毎年のように紹介しています。それでも、毎年5月になるとやはり今年のバラは

どうかなと気になり、バラ園に今年のバラを見に行きます。今年もコロナの心配がなくなり、多くの観光

客と共に地元の人も、家族連れでたくさんの人がバラ園を訪れていました。今年見た素敵なバラには例年

見る品種もありましたが、初めて紹介する品種もありました。そこで5月に見たバラを3回に分けて紹介し

ます。

府立植物園の植物園会館2階に展望台があり、そこからの比叡山を背景にしたバラ園の眺めが素晴らしく、

多くの人がカメラを持ってシャッターを切っています。

 

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バラ園

植物園会館2階の展望台から見た、比叡山を背景にしたバラ園です。バラ園には約320品種・1,400株の

バラが植えられています。バラ園では春と秋に、これらのバラの眺めを楽しむことが出来ます。

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