カテゴリー「・随想 Random Thoughts」の69件の記事

2023年4月16日 (日)

・ウクライでは戦況に応じて記念切手を数回発行して国民を激励し、ヨーロッパ諸国などもウクライナ支援切手を発行しています

 

ウクライナは現在ロシアの侵略を受け、自由主義陣営からの武器援助で何とか反撃中です。

ウクライナは日本から遠く離れていますが、映画「ひまわり」をご覧になった方は、ヒマワリが咲き乱れ

ている大地を見たこと思い出されることでしょう。ソフィア・ローレンが

ソビエトの東部戦線で行方不明になっているご主人のマルチェロ・マストロヤンニを探しに行った地が、

現在のウクライナのヘルソンとされています。映画をご覧になっていない方は、先に「ひまわり」を紹介

したブログをご覧ください。映画の一部が哀愁に満ちた音楽と共に見られます

ウクライナは1991年に、ソビエト連邦の崩壊に伴い独立しました。独立後ウクライナは中立国を宣言し、

ロシアなどと限定的な軍事協定・CISを結びつつ、1994年には北大西洋条約機構・NATOとも平和のため

のパートナーシップを結んでいました。しかし2013年にヤヌコビッチ政権がウクライナ・EU連合協定の

停止とロシアとの経済関係の緊密化を決定したため、デモや抗議運動が起こりヤヌコビッチの打倒と新政

府の樹立が起こりました。これに対し旧ソ連圏への影響力を回復しようと、ロシアのプーチン政権はウク

ライナ国内の親ロシア派を通じて、内政干渉や領土蚕食を進めました。その結果2014年3月にはロシアに

よるクリミアの併合、2014年4月からのドンバス戦争が起こってきました。2016年にウクライナはEUと

の深層・包括的自由貿易圏の経済コンポーネントを申請しました。その動きに対してロシアとの間に緊張

が高まったなか、2019年5月にゼレンスキーがウクライナの大統領になり、クリミア半島の奪還を目指し

ました。この動きを抑えようと、プーチンは2022年2月に遂にウクライナ侵攻を始めました。短期間にウ

クライナを占領する予定で始めたロシアの特別軍事作戦が大方の予想に反し、ゼレンスキー政権のてごわ

い反撃にあいキーウから撤退し、ドンバス地域とヘルソンのかなりの部分も奪還されて、現在の膠着状態

に至っています。

この間ゼレンスキー政権は国民に一致団結を呼びかけるとともに、世界の自由主義陣営からの応援を確保し、ロシアによるウクライナ全土に及ぶミサイルやドローン攻撃に対処しています。またロシアへの反撃

を効果的に利用し、記念切手を発行するなどをして、国民に対し一致団結を図っています。またヨーロッ

パ諸国などでも、ウクライナへの支援の記念切手を発行しており、それらの記念切手を紹介します。

 

 

  • 1-1

くたばれ、ロシア軍艦 ①2022年4月12日発行

切手は、2月に黒海にある島を警備する兵士がモスクワからの投降要求に「くたばれ」と叫んだという。

兵士たちは奮戦空しく捕虜となりましたが、決してロシアに屈しない心意気を示した守備隊兵士たちはウ

クライナ国民のヒーローとなり、4月12日に彼らをモチーフとした切手が2種類、発売されました。発行か

ら2日後の4月14日、切手に描かれた「モスクワ」はウクライナ軍のミサイルで撃沈されました。

続きを読む "・ウクライでは戦況に応じて記念切手を数回発行して国民を激励し、ヨーロッパ諸国などもウクライナ支援切手を発行しています"

| | コメント (0)

2019年5月 9日 (木)

・4月のある日美術館えきKYOTOで、「久保 修の切絵の世界」を見てきました

 

 4月のある日、美術館えきKYOTOで家人と待ち合わせをして、「久保 修の切絵の世界」を見てきまし

た。今まで切り絵に関しては、中国北京の王府井で買ったお目出度い切り絵模様楽器を演奏する天女模様

を紹介しました。またロンドンで買った、ホームズとワトソンの切絵を紹介しています。デンマークのオー

デンセで買った、本を読むアンデルセンの切り絵もありますが、まだ紹介していません。

 久保 修の切絵の世界は、これまで紹介してきた装飾的な切り絵ではなく芸術性の高いもので、切り絵で

く紙のジャポニスムと評されています。展覧会のシラシによると、久保 修の切り絵は、質感や立体感、

近感を感じさせ、線の太さによっても光と影を表現しています。描いた絵を和紙と重ねてアートナイフで

切り抜いて制作していますが、残った黒い線は、すべてつながっているというのが大きな特徴です。紙を

切って表現するという、絵を描くよりも制約の多い制作の中で、その不自由さを魅力に昇華させています。

日本の心が息づく和紙に、日本絵の具などを混ぜ合わせて染めます。それを、切り抜かれた絵の黒い線の枠

の各部分に裏から貼付けて、それぞれの作品を仕上げています。

  • 1

展覧会のチラシ

 収穫の始まったタケノコの生育の様子と、収穫したタケノコの断面を細かく表現しています。説明にもあ

るように、黒い線で原図を書き切り抜いた部分に、自分で和紙に色を付けて当てています。その設計がとて

も細かいもののようで、複雑です。

続きを読む "・4月のある日美術館えきKYOTOで、「久保 修の切絵の世界」を見てきました"

| | コメント (4)

2018年10月26日 (金)

・先日ウイングス京都での大菅誠司氏による「樂・遊書畫展」に家人と行ってきました

大学で同じ研究室の同窓だった大菅さんから、初の個展の案内状が届きました。彼の初の個人書展開催とのことで家人と行き、作品を拝見してきました。学部生の頃から大学の書道部で活躍されていて、最近でも毎年書道部の作品展の案内を頂いていました。彼の書道とのかかわりは、小学生の頃お母さんに勧められて習い始めたとのことで長い付き合いのようでした。

樂・遊書畫展とタイトルがついているように、どの作品も素晴らしくて独特の書体とユーモアのあふれるが添えられていました。また特に良かったと思ったのは作品紹介の一言が添えられていたことで、それで一層内容がよく理解されました。

題材は中国の古典だけでなく、童謡からもその歌詞が採用されていたり、授業中の生徒が騒がしいので書いた「喝」の書など、彼らしいユーモアが感じられました。作品は合計で72作品が出品され、作成時期も1970年~2018年に渡っていました。その内から11作品を紹介します。

Photo

樂・遊書畫展

個展の案内状です。

続きを読む "・先日ウイングス京都での大菅誠司氏による「樂・遊書畫展」に家人と行ってきました"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月30日 (木)

・知っているようで詳しくは知らない風呂敷の包み方を紹介します

先日京都の名産品紹介の洛趣会を1 22回に分けて紹介しましたが、その中で風呂敷・袱紗の宮井さんのコーナーで「ふろしきのしおり」が置いてありました。日本風呂敷協会作成の、色々の風呂敷の包み方を紹介した冊子でした。なかなか興味深くて読んでみると、話には聞いていた西瓜包みやワイン包みなどの包み方も紹介されていました。

そこで風呂敷のルーツはどこだろうかと疑問になり、ちょっと調べてみました。物を包む布としての起源は奈良時代に遡り、正倉院宝物の中に舞楽の衣装包みとして用いられたもあります。ただしこの専用包みには、現在の風呂敷にはない中身を固定するための紐が取り付けられていたので、現在の風呂敷の利用方法とはかなり異なります。どうも、現在の風呂敷の利用は日本で始まったようです。

風呂敷の名称は、日本の室町時代末期に大名が風呂に入る際に平包(ひらつつみ)を広げ、その上で脱いだ服を包んだり、あるいは足拭きにした等の利用が伝えられています。室町時代の風呂は今の風呂とは異なり蒸し風呂(サウナ)でしたが、入浴の際の習慣は江戸時代にも残っていました。江戸時代初めになって、湯を張って入浴する現在の銭湯が誕生し、元禄時代頃から江戸や上方の町では銭湯が盛んになりました。庶民も衣類や入浴用具を平包に包んで持って、銭湯に出かけていたようです。風呂に敷く布で包むことから、平包に代わって「風呂敷包み」や「風呂敷」と広く呼ばれるようになりました。

最近は家庭に風呂の有る内湯が一般的になり、銭湯は少なくなり衣類を風呂敷に包んで行くことも見られなくなりました。しかし最近では化石燃料から作るレジ袋の使用は環境保護の観点からも好ましくない事から、マイバッグや風呂敷の利用が見直しされてきています。私自身は外国の人へのお土産に、舞子や芸妓などの着物姿の模様が入った風呂敷を使って好評です。たいていは奥さんが壁に懸けて飾ったり、ネッカチーフに利用されたりしているようです。また外国では布で物を包んで持ち運びする習慣は無いようで、図書館や美術館で箱の持ち込みを禁止することはあっても、風呂敷の持ち込みはセーフのようです。

ここには日本風呂敷協会の資料から、風呂敷の包み方を紹介します。意外と知っているようで、知らない包みもあるものですね。

Dscn4354a

風呂敷・袱紗・宮井

続きを読む "・知っているようで詳しくは知らない風呂敷の包み方を紹介します"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年10月 1日 (日)

・大阪の国立国際美術館で開催中のブリューゲル作の「バベルの塔」展を見てきました! 

昨日は家人の要望で、大阪の国立国際美術館で開催中のブリューゲルによる「バベルの塔」展を見てきました。国際美術館に行くのは初めてなのでアクセスを調べ、京阪電車で行き京橋で中之島線に乗り換え、渡辺橋駅で降りて徒歩5分で行けました。久しぶりの大阪でしたが、高層ビルが立ち並んでおり以前とは見違えるような光景でした。

国立国際美術館では718日(火)~1015日(日)まで、ボイマンス美術館所蔵のブリューゲル「バベルの塔」展が開かれており、ピーテル・ブリューゲル作《バベルの塔》がメインになっています。ブリューゲル (1526/30-1569)の現存する油彩画はわずか40点余りで、16世紀ネーデナレラント絵画を代表する巨匠です。版画下絵作家として頭角を現し、後に油彩画の制作も行いましたが、油彩画は特に希少で、現在では真作は40点ほどしか残されていないとされます。聖書の物語や人々の暮らしなど、素朴さの中におかしみや教訓などを盛り込んだ作品を多く描いています。

ブリューゲル作の《バベルの塔》の驚異的な写実を実見できるとのことで楽しみにしていました。一説には画面上に描かれた人々の数は1,400人と言われています。また細密なだけでなく、圧倒的なボリュームと迫真性を備えた世紀の傑作との前宣伝でした。

1

「バベルの塔」展入場券

以下には、「バベルの塔」展のホームページの解説文を参考にして、内容を紹介します。

続きを読む "・大阪の国立国際美術館で開催中のブリューゲル作の「バベルの塔」展を見てきました! "

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年9月29日 (金)

・人工衛星から日本は、こんなに明るく綺麗に見えるんですね!

世界中がテレビでつながり1963年には、初の日米宇宙中継でアメリカからのケネディ大統領の暗殺の光景が流れたのはショックでした。また、アフリカのケニアにいる時、テレビの英語の放送が急に日本語になったと思ったら、JAL123便の遭難の映像が流れてきたのも驚きでした。これらの映像の電送には人工衛星が大いに役立っており、気象衛星など各種の目的の人工衛星が飛んでいます。日本も1973年に世界で9番目に、「おおすみ」を打ち上げています。

人類初の人工衛星は、1957年にソビエト連邦が打ち上げたスプートニク1号でした。

1961年のソビエトの人工衛星ボストーク1号は人類初の有人宇宙飛行を実現しましたが、その宇宙飛行士ガガーリンはその感動を「地球は青かった」という言葉で表現しています。最近人工衛星から見た日本の夜景がyou tubeで公開され、その美しさに世界中から感動が寄せられているようです。そこでその一部を紹介します。

Dscn3519a

日本・夜景

日本はどこも、夜でも明るく見えます。しかし、朝鮮半島の北半分は暗闇状態です。

続きを読む "・人工衛星から日本は、こんなに明るく綺麗に見えるんですね!"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年3月29日 (水)

・学生時代に聞いたあのマリンバ奏者安倍圭子さんはまだまだ現役でした

学生時代にもよく音楽は聞いていましたが、その頃聞いた音楽家達, 栗本尊子, 安倍圭子、竹内郁子さんのことを先に紹介しました。皆さんまだまだ現役で、メゾソプラノ歌手の栗本さん、マリンバ奏者の安倍圭子さん,マンドリン奏者の竹内子さんなども、学生時代に読書の合間にみなさんの音楽を、NHKの音楽番組でもよく聴いたものです。

先日同じマンションに住んでおられたサヌカイト演奏でも有名な臼杵美智代さに教えていただき、安倍圭子さんのマリンバ演奏70年目を迎える記念コンサートがあることを知り、大阪のいずみホールに家人と出かけました。

 

00001

マリンバ奏者・安倍圭子さん

続きを読む "・学生時代に聞いたあのマリンバ奏者安倍圭子さんはまだまだ現役でした"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年1月27日 (金)

・19年ぶりの日本人横綱・稀勢の里による明治神宮奉納土俵入りを見ました

第72代横綱に昇進した稀勢の里が27日、東京・明治神宮で奉納土俵入りを行いました。日本人による横綱は19年ぶりで、待ちに待った日本人横綱による奉納土俵入りでした。稀勢の里の土俵入りを熱血指導したのは、大乃国の芝田山親方(第62代横綱)でした。芝田山親方は前日に古傷を抱える膝の水を抜き、26日にはズボンの下にはサポーターをつけ気合の入った指導をされていました。芝田山親方は『せり上がりのときは一呼吸置いて、観客が拍手をしたら腰を上げるんだ』と説明し、「ただの形だけじゃない。土俵入りも人それぞれだから。自分のこだわりを持ってやってもらいたい」とエールを送ったそうです。

 

Dscn0560a

稀勢の里奉納土俵入り

稀勢の里の真剣な表情が印象的です。

続きを読む "・19年ぶりの日本人横綱・稀勢の里による明治神宮奉納土俵入りを見ました"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2016年12月24日 (土)

・天皇誕生日に両陛下の外国訪問時のエピソード2話をyou tubeで紹介します

毎日が日曜日の生活をしていますが、さすがに今日は天皇誕生日だったと気が付きました。しかし頭の中ではまだ昭和の時が刻んでいて、天皇誕生日というとついつい4月29日だと頭の中に刻み込まれています。それだけに平成になってからの月日の過ぎることの早いこと、知らないうちに平成29年を迎えようとしています。今上陛下の思い出としては美智子さまとのご成婚が印象深く、私が中学1年になった1958年(昭和33年)のことで、まだ白黒テレビの普及も進んでいませんでした。それがご成婚パレードを見ようと、テレビ購入が一挙に進んだものでした。皇太子の強い意思が功を奏し、初めての民間からの皇太子妃を迎えることで一層の盛り上がりもありました。

早いものでその陛下も73歳となられ、譲位のご意思が示されましたが、お元気なうち公務は皇太子に代行して頂き、いつまでも象徴天皇として我が国を見守ってほしいものです。ここには天皇の公務でオランダと英国を訪問された際の、あまり報道されることのなかったエピソード2話をyou tubeから紹介します。  

10

天皇誕生日

続きを読む "・天皇誕生日に両陛下の外国訪問時のエピソード2話をyou tubeで紹介します"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 9日 (金)

・「ロームシアター京都」のオープニング記念で、“由紀さおり・安田祥子のファミリーコンサート”を聴いてきました

長らく京都会館としておなじみだったコンサートホールが、ロームシアター京都としてオープニングしました。第1、第2とあった京都会館は、メインホールとサウスホールに名前が変わったようです。京阪神の他府県の音楽ホールに比べ、改築の遅れていた京都ですが、何とか模様替えができたようですが、規模拡大はもうひとつのようです。

由紀さおり・安田祥子のコンサートは初めてでしたが、タップリ2時間半懐かしい童謡や楽しい音楽に満たされた一日でした。

 

Ac001

由紀・安田姉妹1

 由紀さおりさんは子年生まれで、少女時代からひばり児童合唱団に通う7歳上の姉の祥子に付き添う母に連れられ通ううちに、姉と同じ童謡歌手として活躍をするようになりました。

続きを読む "・「ロームシアター京都」のオープニング記念で、“由紀さおり・安田祥子のファミリーコンサート”を聴いてきました"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧