・京都・歴史探訪:二条城の西北で通りの拡張に待ったをかけて止めている椋の巨木と貧乏稲荷
京都の街並みは東西南北の道で碁盤の目のように区切られていると言われていますが、道が斜めに通っている箇所が2カ所はあります。その一カ所は二条城の北側で、東から来た丸太町通がやや北側に曲り、次いでまた西に続いています。不思議なのはそれだけでなく、その曲がった丸太町通からすぐ近くで南西方向にある竹屋町通では、その道幅の拡張に待ったをかけたように、そこにムクノキの巨木と通称貧乏稲荷とよばれる社があります。この待ったをかけているムクノキの事は、渡辺先生も著書の「京都:神社と寺院の森」で触れておられます。
平安の昔には二条公園を含むこの付近一帯は、天皇の住まいである内裏や、大極殿を正殿とする朝堂院、太政官(だじょうかん)など、国家政治の中心となる建物が立っていました。二条公園にはまた後で説明しますが、近衛天皇を夜な夜な悩ませていた鵺(ぬえ)を、源 頼政が矢で射落し退治した際、鏃(やじり)の血を洗ったとされる池が残っています。
二条公園地図
東から来た丸太町通が、二条城の北あたりで折れ曲がり、また真っ直ぐ西に伸びており、これを斜行と書くようです。二条公園の北側にあるNHKあたりに何か支障があったのか、その手前で道は迂回して直進するのを止めたように見えます。かってはこの通に市電が走っており、この軌道が引かれる際に何らかの理由で道の拡張がうまくいかず、斜行となったようです。
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