カテゴリー「・歴史 History」の17件の記事

2016年5月28日 (土)

・京都・歴史探訪:二条城の西北で通りの拡張に待ったをかけて止めている椋の巨木と貧乏稲荷

京都街並み東西南北碁盤のように区切られていると言われていますが、斜めに通っている箇所2カ所はあります。その一カ所は二条城北側で、から来た丸太町通がやや北側に曲り、次いでまた西に続いています。不思議なのはそれだけでなく、その曲がった丸太町通からすぐ近くで南西方向にある竹屋町通では、その道幅拡張に待ったをかけたように、そこにムクノキの巨木と通称貧乏稲荷とよばれる社があります。この待ったをかけているムクノキの事は、渡辺先生も著書の「京都:神社と寺院の森」で触れておられます。

 

 平安には二条公園を含むこの付近一帯は、天皇の住まいである内裏や、大極殿正殿とする朝堂院太政官(だじょうかん)など、国家政治の中心となる建物が立っていました。二条公園にはまた後で説明しますが、近衛天皇を夜な夜な悩ませていた(ぬえ)を、源 頼政で射落し退治した際、鏃(やじり)を洗ったとされるが残っています。

二条公園地図

 

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 から来た丸太町通が、二条城の北あたりで折れ曲がり、また真っ直ぐ西に伸びており、これを斜行と書くようです。二条公園北側にあるNHKあたりに何か支障があったのか、その手前で道は迂回して直進するのを止めたように見えます。かってはこの通に市電が走っており、この軌道が引かれる際に何らかの理由で道の拡張がうまくいかず、斜行となったようです。

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2015年7月16日 (木)

・天才レオナルド・ダ・ヴィンチは木々の梢の伸長に、川の流れに人体の動脈の類似性を見出し、デッサン・絵画創作に生かしています

大分以前の2007東京に出張した折に学会の後で東京国立博物館で開催されていた「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像」展を見て記念冊子を購入していました。最近のテレビには面白いものがないので、ケーブルテレビで海外ドラマをよく見ていますが、そんな中にFOXの「NCIS」や「ダ・ヴィンチと禁断の謎」があります。

特に先日見た「ダ・ヴィンチと禁断の謎」では、ダ・ヴィンチが政敵との争いで傷ついたロレンツォ・メジチ輸血をするシーンがあり、驚きました。いまだ医学の進んでいない15世紀輸血が行われたことは信じがたいですが、ダ・ビンチには理論的にその可能性を理解していたことは、彼が残した手稿類にその痕跡が認められます。

 

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ダ・ビンチの思索過程

ダ・ビンチ展記念冊子木々萌芽前と後

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2015年2月13日 (金)

・京都・歴史探訪:三条小橋横には関白秀次とその遺児妻妾たちを供養する瑞泉寺があります

京の豪商角倉了以の邸宅跡、更に了以翁により掘削された高瀬川は歴史上の舞台ともなり、今も各種生き物の生息する環境を残していること紹介しました。三条小橋横にある瑞泉寺の縁起によれば、慶長16(1611)当時、鴨川にも高瀬舟水運があったようで、それを利用して了以翁方広寺大仏殿の再建の際、この水運を利用して資材運搬をしています。江戸時代初期に描かれた「洛中洛外図」にはその水運の様子が描かれており、またその図の「三条大橋」の南西の位置、つまり現在の瑞泉寺がある場所に、その後に寺の創建の由緒となる「せっしょう(摂政・殺生)塚」がはっきりと描かれています。


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瑞泉寺

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2014年6月 9日 (月)

・京都・香川歴史探訪:歴代朝廷を恐れさせた崇徳天皇の怨霊を、竹田恒泰著「怨霊になった天皇」に見る

香川県に住んでいた頃、高松と坂出の間に五色台と呼ばれる400m級の連山があり、よく子供を連れてドライブに行っていました。五色台の西側に西国88ヶ所の一つ白峯寺に並んで白峯御陵があり、崇徳天皇が祀られていることは知っていました。京都に転居してみると市内にも白峯神宮があり、興味がわき調べてみると保元の乱で負けた崇徳院が讃岐に流され、その怨念を和らげるため明治政府がお祀りしたものと分かりました。 

 さらに崇徳院のことが、竹田恒泰著「怨霊になった天皇」に詳しく載っていますので、現地での写真に併せて崇徳院の怨念の由来を紹介します。

 

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表紙

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2014年5月10日 (土)

・大阪歴史探訪:久しぶりに曽根崎から梅新近くのお初天神にお参りしました

高校生の頃よく梅田まで足を伸ばし、大阪駅前の旭屋で本を見たり百貨店をうろついたり、曽根崎警察裏の商店街を散策し、お初天神まで行ったものです。最近梅新(梅田新道)まで安倍圭子さんのマリンバコンサートに行くことがあり、開演まで時間がありましたので久しぶりにお初天神を訪れました。

 お初天神の正式な名前は露 天神社(つゆのてんじんしゃ)といいます。元禄16年(1703年)に当神社の境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きました。以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになりました。

 

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お初天神

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2014年5月 4日 (日)

・京都歴史探訪:京都府植物園を守護し、絹織物の守護神でもある半木神社の春祭りに参加しました

420日に半木神社(なからぎじんじゃ)の春祭りがおこなわれるとのことで、植物園内にあり園芸振興活動をしている京都園芸倶楽部にも参加要請があり出席させてもらいました。半木神社は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の末社で京都府立植物園内にあり、祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)です。

植物園のある地帯は以前から半木町と書き「なからぎちょう」と呼んできましたが、近年は「はんぎちょう」と振り仮名が打たれ困ったことだと思っていましたが、植物園内では半木の森(なからぎのもり)と昔通りの呼び方は変わっていませんでした。

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半木神社

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2014年4月10日 (木)

・京都歴史探訪:北野天満宮に残る御土居の遊歩道が整備され公開されています

北野天満宮はいつ行ってもたくさんの見どころがあり(その幾つかは先に紹介しました)、多くの観光客や参拝者であふれています。その多くの人は受験祈願であったり、節分祭と能狂言紅梅・白梅を見に来られる人も多いのですが、本殿左側にある御土居周辺まで見に来られる人は少ないようです。境内にはたくさんの人がいても、この御土居周辺に遊歩道はいつも緑豊かで、特に5月新緑と秋の紅葉の季節には訪れたいところです。歴史好きと怖いもの好きな人には、参道西にある土蜘蛛燈籠も訪れてほしいものですが……。


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御土居紅葉の碑

東千家家元の書による御土居の紅葉碑

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2013年11月26日 (火)

・京都歴史探訪:大政奉還の舞台になった二条城には、公武合体の菊の御紋と葵紋が仲良く同居

今年も二条城での菊花展の審査に行きました。二条城の歴史菊花展のこと、更に菊の審査基準などについては先に紹介しましたので、そちらをご覧下さい。この世界遺産である元離宮二条城は生きた歴史の場であり、日本各地や世界からの人々を毎日お迎えしています。天守閣は残念ながら失われていますが、わが国でも数少ない御殿が今も保存されています。

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2013年3月21日 (木)

・京都歴史探訪:あなたは平安時代の才媛・和泉式部のその後を知っていますか

ある日新京極で映画(サッチャー)を見た後、京土産の店先をひやかしながら歩いていましたが、いつも気になっていた小さなお寺に何の気なしに入ってみました。お寺の縁起を読んでいると、なんと平安時代の歌人・和泉式部が出家して初代住職をしていたお寺・誠心院(せいしんいん)と分かりました。こんな修学旅行生の行きかう雑踏の中に、彼女が最後を迎えた寺がひっそりとたたずんでいるなんて驚きました。

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2012年10月25日 (木)

・京都歴史探訪:久しぶりに時代祭巡行を御所・間の町口近くから見学しました

太極拳の講座に参加した後、丁度御所から出てきた時代祭巡行を久しぶりに見学しました。御所を取り巻く九御門については先に紹介しました。巡行の列は唯一の南側御門である、堺町御門から出てきます。御門の西側の間の町口に私達が着いたのは12時10分頃でしたが、京都御所建礼門を出発するのが12時で、堺町御門に来るのには20分くらいはかかるとの事でした。行列の最終地は平安神宮で14時30分着の予定です。全行列が到着した16時頃、大極殿祭還幸祭が行われて祭典が終了します。しかし、行列の最後を見たのはもう14時過ぎでしたから、巡行は大幅に遅れたことでしょう。

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