・京都伏見の歴史を尋ねて(1)御香宮境内に残る歴史の跡
京都南部の伏見はかっては豊臣秀吉の城下町で、伏見城が築かれていました。秀吉により豪華絢爛な
「桃山文化」を開花させた地ですが、次いで徳川の世となり家康はこの地で幕府を開き、日本で最初
の銀座を設置して金貨、銀貨を発行しました。また高瀬川を開いて、京・伏見・大阪を一本の水路で
結び、伏見港を日本最大の河川港としました。幕末には官軍と幕府軍がこの地で戦い、新しい時代を
開きました。海運の便利さから重要性を増し、日本初の路面電車が伏見の下油掛から京都駅まで開通
しました。伏見城は1596年の慶長伏見地震で倒壊し、そのご再建されましたが、江戸時代になり
「一国一城令」により京には二条城だけ残すことになり、1619年に伏見城は廃城となりました。城
跡は後に明治天皇・皇后の墓所「伏見桃山陵」となりました。伏見城本丸跡一帯の少し北側に模擬天
守閣が立っています。これはかってあった「伏見桃山キャッスルランド」という遊園地で、この模擬
天守閣はその中央に立てられていました。
2003年に閉園となりましたが、地元からの要望もあり模擬天守閣は残されています。
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伏見マップ
大手筋通りに近鉄の桃山御陵前駅と京阪電車の伏見桃山駅が、その西には伏見大手筋商店街があり、
東側には御香宮神社の境内が広がっています。今回はこの御香宮神社境内にある歴史跡を紹介しま
す。
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黒田節誕生の地
御香宮神社表門前の少し西側に、黒田節誕生の地の案内板があります。「酒は飲め飲め飲むならば、
日の本一のこの槍を……」で有名な、福岡県の民謡の歌詞にある出来事は、ここ伏見で起こったよう
です。伏見にあった福島正則の屋敷での酒宴で、招かれていた黒田家の母里太兵衛が正則に強く勧め
られた大きな鉢で酒を飲み干し、約束通りに望みの品として座上に架かった槍を貰ったという逸話に
縁っています。この槍「日本号」は正則が豊臣秀吉から賜った秘蔵の品で、現在は福岡市博物館に所
蔵されています。福島正則の屋敷跡は、今は京阪の丹波橋駅の東200mあたりに、福島大夫北町・南
町・西町として町名に残っています。
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御香宮
御香宮の祭神は安産守護の大神と称される神功皇后で、応神天皇、仲哀天皇他6柱と共に祀られてい
ます。御香宮縁起によれば、862年に境内より「香」の良い水が湧出する奇瑞により、清和天皇より
御香宮の名を賜ったとされます。1590年に天下を統一した豊臣秀吉は当社に先勝祈願をなし、社領
三百石を寄進しました。その後に豊臣氏を滅ぼした徳川家康もまた本殿を造営し社領三百石を寄進し
ています。
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御香宮表門
1622年に伏見廃城に先立ち、水戸徳川家の初代德川頼房が伏見城の大手門を拝領し、当社の表門に
寄進しました。三間一戸、切妻造、本瓦葺、薬医門、雄大な木割、雄渾な蟇股、どっしりと落ち着い
た豪壮な構えは伏見城の大手門たる貫録を示しています。
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鳥居
大手指示通りを跨いで朱色の一の鳥居がありますが、境内にあるこれは石造りの二の鳥居です。
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伏見義民事績
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伏見義民事績碑
天明5年(1785)、時の伏見奉行小堀政方の悪政を幕府に直訴し、伏見町民の苦難を救い、自らは
悲惨な最期を遂げた文殊(文珠)九助ら7人を伏見義民といいます。江戸時代伏見は交通の要衝であ
り、また政治・経済的にも重要な地であったたため、幕府の直轄地として奉行所が置かれています。
直訴により、奉行の政方は罷免されましたが、久助ら七人は獄中で病死しました。この碑は明治20年
に建てられたもので碑文は勝海舟の撰、題字は内大臣三条実美の書です。毎年5月18日には伏見義
民顕彰会によって慰霊祭が斎行されています。
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桃山天満宮
前田利家の屋敷にあった天満宮は、伏見城廃城後に観音寺に移され、次いで御香宮境内に移され現在
に至っています。
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伏見城跡残石
天満宮境内に、伏見城跡残石が残されています。伏見城は慶長伏見地震で倒壊後、近くの木幡山に再
建されました。しかしこの城も関ヶ原の戦いの前哨戦で焼失し、家康により再建されていますが、一
国一城令により廃城となりました。近年になってマンション建設現場の地下から伏見城の石垣が発見
され、その内の300個ほどがこの境内に持ち込まれました。
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拝殿
境内を更に進むと、豪壮華麗な拝殿があります。1625年に徳川頼宣(紀州初代藩主)の寄進により
建設され、桁行七間、梁行三間、入母屋造、本瓦葺の割拝殿です。この拝殿は伏見城御車寄の拝領と
伝えられています。
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拝殿(拡大)
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拝殿・五三桐の蟇股
正面軒唐破風は、手の込んだ彫刻によって埋められています。特に五三桐の蟇股や、大瓶束によって
左右区切られている彫刻は、向かって右は「鯉の瀧のぼり」、即ち龍神伝説の光景を彫刻し、左はこ
れに応ずる如く、琴高仙人が鯉に跨って滝の中ほどまで昇っている光景を写しています。
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拝殿正面軒唐破風
蟇股に五三桐の桐があるかと思えば、正面の屋根瓦には葵の模様があり、その下の唐破風正面には葵
の模様とその横に菊の紋章が入っています。これらはまず豊臣秀吉により創建され、徳川家康によっ
て守られてきたが、幕末には官軍の駐屯地となり幕府軍を打ち破った、歴史の移り変わりを示してい
るかのようです。
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境内マップ
境内マップには表門、桃山天満宮、伏見義民碑、拝殿、御香水、本殿、其れに奥の左右に東照宮と豊
国社、中央にお伊勢さんが鎮座しています。
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防火用水
拝殿裏に2基の立派な防火用水がありました。雨水を集めて防火桶に入れている装置がユニークでし
た。
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御香水
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御香水
今から1160年前の貞観4年(863)に境内から湧水があり、良い香りがしてこの水を飲むと病気が
治ったことから、清和天皇から「御香宮」に名前を賜ったとあります。ただこの井戸は明治に一度涸
れましたが、昭和57年に復元していて、昭和60年には環境省の「名水百選」に認定されています。
京都の地下には巨大な水甕があり、水瓶の南端はちょうど伏見あたりに位置し、伏流水が伏見の酒を
造っていることを先に紹介しています。
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御香水,神鑒静
これは先の湧水した井戸・神鑒静とそれをたたえる石碑を示しています。
(続編に続く)
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