・山中温泉でのんびり温泉につかってカニを頂いた後、芭蕉の館で芭蕉の俳句を楽しみました
コロナも落ち着いてきたので、しばらくどこにも行っていなかったので旅行に行こうと、ネットで検索を
しました。これが良いと予約をしかけて、はたと気がつきました。5年前に行ったのと同じ企画だと。温
泉に入って、カニを食べて、芭蕉の足跡をたどる旅! 違うのは前回はと紅葉の時期で、今回はツバキの
時期だったことくらいです。カニ尽くしの様子、芭蕉の足跡と樹齢2300年を超す大杉の事は先の記事をご
覧ください。
今回は奥の細道の最終コースで山中温泉を訪れた芭蕉の足跡を、芭蕉の館から紹介します。
芭蕉は江戸時代前期の俳諧師で、俳句を単なる言葉遊びの芸事から世界で最も短い詩として、文学にまで
高めました。1644年に伊賀上野に生まれ、松尾家は土豪であって名字帯刀を許されていましたが、身分は
百姓でした。藤堂家に勤めていて、その主人と共に、京都の北村季吟に師事して俳諧の道に入りました。
30歳を過ぎてから江戸に出て、俳諧の宗匠となり俳号は「桃青」で、後に「芭蕉」と改めました。1869
年(元禄2年)3月に、門人の河合曽良を伴い、西行法師の500回忌を記念し、東北、北陸への旅に出まし
た。これは西行や能因法師らの歌枕や名所旧跡を辿る目的を持っており、多くの名句が詠まれました。
夏草や兵どもが夢の跡(岩手)、閑さや岩にしみ入る蝉の声(山形)、五月雨をあつめて早し最上川
(山形)、荒海や佐渡によこたふ天河(新潟)などは誰でも知っている俳句でしょう。芭蕉と曽良は5か
月をかけた2400Kmの行程で東北と北陸を回り、美濃国大垣で旅を終えます。この旅の体験を基にして、
紀行文「奥の細道」を5年後に完成します。
芭蕉の館
奈良時代の僧行基を開祖として開かれた山中温泉は、芭蕉の逗留によって一層有名になりました。芭蕉が
逗留した泉屋の当主はまだ14歳の少年で、芭蕉により俳句の手ほどきを受けて「桃妖」の俳号を貰ってい
ます。泉屋に隣接した扇屋別荘を改築してできた山中温泉最古の宿屋建築が、現在の「芭蕉の館」になっ
ています。
芭蕉と曽良の別れ
4ヶ月に渡る芭蕉と曽良の二人旅は、この山中温泉で終わりを告げることになります。曽良が病にかかり
伊勢に帰ることになり、同行が叶わなくなったためです。
芭蕉と曽良の別れ
別れに際して曽良は、「ゆきゆきて たおれ伏すとも 萩の原」と詠み、まだまだ旅を続け、例え倒れて
も萩の咲く原なら良いのにと、別れを惜しみます。それに対して芭蕉は、「今日よりや 書き付け消さん
笠の露」と笠についた露か涙で、同行二人の文字を消そうかと、返しています。
雪吊り1
かつては芭蕉の館は立派な旅館であったためか、珍しい広い庭で落ち着いた庭石、年輪を重ねたツツジ、
カエデの巨樹が配置され、和風情緒一杯の庭園があります。丁度雪国らしい雪吊りが情緒を醸し出してい
ました。
雪吊り2
こちらは2階から見た雪吊りです。雪づりとも言い、冬季に雪が樹木の枝に付着することで、枝が折れな
いように縄で枝をつって支えています。雪の無い時期でもなかなか綺麗な風景です。
藪椿
北国らしく、庭には藪椿もたくさんの花を着けていました。
奥の細道行程
芭蕉の館の2階には、芭蕉と桃妖(泉谷の若主人)の資料展示室があります。
「奥の細道」の全行程図もあり、千住を出て日光、白河、平泉に至り、更に象潟、酒田、新潟、直江津、
金沢を経て、金沢、山中温泉へと来ています。ここ山中温泉で曽良と別れ、大垣に至り旅を終えていま
す。
奥の細道行脚の図
笠を手に杖をつく芭蕉と、振り分け姿の随行者は門人の曽良。これを描いた許六(きょりく)は彦根藩士
で、芭蕉は「画は許六を師とし、風雅(句)は予の弟子となす」と最大級の許六に賛辞を送っています。
芭蕉生前の元禄6年(1693)に描かれたため、最も信頼できる芭蕉像と言われています。芭蕉はなかなか
がっしりとした風貌に見えます。
「奥の細道」300年を記念して建てられた石碑で、芭蕉がいかに山中温泉を愛でていたか、また曽良との
別れが書かれた「奥の細道―山中の段」などを蕪村が画を入れて書き写していることを書いています。
山中温泉で詠まれた俳句
芭蕉 「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂」
山中温泉の湯に入ると寿命が延びると言われるがその香りは、寿命が延びるという菊の香も及ばないで
しょう。だから菊を折ることも無いでしょう。
いつきさんの俳句
ここにテレビの俳句番組で活躍中の夏井いつきさんも、若い頃に訪れてこの俳句を残しています。
「花を待つことも 芭蕉を読むことも」この意味はこれを読む人にお任せしましょう。
カニ尽くし
やはり宿で頂いた600gのズワイガニ一杯とカニ尽くし料理を載せておきましょう。とても一人では食べ
きれない量で、カニを堪能しました。
この旅行は全国旅行支援対象で、石川県の補助が一人7000円弱も出ていました。5年前に比べると、やは
りコロナの影響で3年間の湯治客も減ったためか、閉じていた店も数件あって旅行支援の必要性が感じら
れました。
関連の記事が 日本の街角 にもありますので、ご覧ください。
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