・長崎の西坂にある二十六聖人記念碑と記念館を訪れました
今回の2泊3日の長崎旅行では欲張って大浦天主堂 、シーボルト記念館、浦上天主堂 、26聖人記念碑とハウステンボスの5か所を見に行く計画を立てました。また先に長崎に行ったのは15年ぶりと書いていましたが記憶違いで、2008年にも一人で行っていましたので9年振りでした。それと今回の計画の予定外は、以前にはハウステンボスには園のホテル込みのフリーツアーで私たち夫婦だけで行ったので、場所が長崎市内と勘違いしていました。実際にはハウステンボスは佐世保市にあるので、長崎からはJRで1時間20分かかります。そこで、今回はハウステンボスには丸1日充てることにしました。
二十六聖人記念碑は長崎駅近くで、ホテルからも近い距離で、簡単に行けました。併設の記念館は日本二十六聖人の顕彰を目的として、カトリック教会によって設立された博物館です。長崎県史跡「西坂の丘」のある西坂公園に隣接しています。
1549年ザビエルが来日し、キリスト教の布教が始まります。しかしその後1587年に豊臣秀吉はバテレン追放令を出し、キリスト教の布教を禁止します。厳密には信仰を禁止したわけではなく、宣教師や信者が迫害されることはありませんでした。
二十六聖人記念碑
記念碑「昇天のいのり」は1962年の列聖100周年を記念して、記念館に隣接する西坂公園内に建立されました。記念碑は花崗岩製で高さ5.5メートル、幅17メートルの台座に、舟越保武氏制作の二十六聖人を模したブロンズ像がはめ込まれています。
記念碑案内板
西坂公園手前に立派な案内板がありました。
二十六聖人記念碑
記念碑「昇天のいのり」の全景と、後ろの建物は記念館です。
キリシタンに対する迫害はありませんでしたが、1596年にサン・フェリペ号事件が起こり、二十六聖人殉教のきっかけとなります。1596年フィリピンのマニラを出航したスペインのガレオン船サン・フェリペ号が台風に遭遇し、日本の土佐に流れ着きました。
記念碑前にて
取り調べに対して、サン・フェリペ号の水先案内人が「スペイン国王は宣教師を世界中に派遣し、布教とともに征服を事業としている。それはまず、その土地の民を教化し、その後その信徒を内応せしめ、兵力をもってこれを併呑するにあり」という意味のことを告げたとされています。この言葉も、秀吉がその後に禁止令を強めた一つの理由になっていて、1597年の長崎西坂での26人の大殉教の悲劇が起こります。
説明文
処刑に使われた十字架のイメージと、マルコ第8章の言葉「人若し我に従はんと欲せば 己を捨て十字架をとりて我に従うべし」が書かれています。
二十六聖人1
左からフランシスコ(40歳)、コアキム榊原(40歳)、トマス小崎(14歳、父親と共に処刑)。
殉教者の日程は1597年1月に京都を出発し、長崎までの1000キロの道のりを1か月かけて歩いています。日本人は20人でその内子供が3人(⒓,13,14歳)で、宣教師が6名でした。
二十六聖人2
左からヘドロ・バウチスタ(スペイン人神父、48歳)、アントニオ(13歳)、ルドビコ茨木(最年少の12歳)、ヨハネ後藤(19歳)。ヘドロ・バウチスタ神父とパウロ三木(右から6人目、33歳)だけが手を開き福音を授けているようで、他の24名は手を合わせています。
二十六聖人2(拡大)
左がアントニオで、13歳。中国人父と日本人母の子で、長崎生まれ。京都でキリスト教の教理を学びます。
右がルドビコ茨木で、最年少の12歳。尾張生まれで京都の修道院で働き神父が捕まると、自らも捕えるように願い出ます。ルドビコ茨木については、大浦天主堂横にもその像があります。
記念碑前でのミサ
1627年に26殉教者は福者に列せられ、1862年には26殉教者は聖人に列せられて3年後の1865年に二十六聖人に奉げられる大浦天主堂が完成し、1962年(昭和37年)にこの26聖人の記念碑と記念館が西坂に完成しました。
福者とはカトリック教会において、死後その徳と聖性を認められた信者に与えられる称号です。この称号を受けることを列福といい、その後、さらに列聖調査がおこなわれて聖人に列せられることもあり、26聖人はみな聖人に列せられました。先に浦上天主堂に書きましたように、高山右近はこの福者になる列副申請が認められた状態にあります.
細川ガラシャ
記念館には各種の記念品が陳列されていましたが、内部は撮影禁止で写真が撮れませんでした。これは売店で買った細川ガラシャのカードです。夫婦仲の良かった忠興との和歌の交換が添えられていますが、秀吉の介入の恐れがあったのでしょうか。大阪での高山右近と細川ガラシャの足跡は、先に紹介しています。
●少し大きな写真と特性などは、右サイドの 日本の街角 に載せますの
でそちらもご覧下さい。
●関連の記事が 日本の街角 にもありますので、ご覧ください。
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