・岩谷時子さんを追悼して、作品の一部を定番の人あるいは意外な人に歌ってもらいます
岩谷時子さんは神戸女学院英文科を卒業され、宝塚歌劇団出版部に就職され、歌劇団の機関紙「歌劇」の編集長をしていました。編集部に偶然に来た越路吹雪と出会い、その後交流は深まり、越路吹雪の良き相談役となっていきます。越路吹雪が宝塚を退団して、女優としてまた歌手として活躍するようになると、彼女のマネージャーとなりまた彼女の歌うミュージカルやシャンソンの訳詞を頼まれるようになります。岩谷もそれを契機に作詞家、翻訳家、詩人として活躍するようになります。
岩谷時子
岩谷は越路が亡くなるまで約30年間彼女のマネージャーを務めましたが、それは彼女が好きであったため支えていたので、マネージメント料としての報酬は全く受け取らなかったという。
岩谷時子
ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」や加山雄三の「君といつまでも」、ピンキーとキラーズの「恋の季節」などのヒット曲を作詞しています。またオリジナル曲の歌詞は背徳的名内容であったため、それにとらわれず自分の解釈で歌詞を当てた「愛の賛歌」など、一途な愛を貫くという賛歌にしています。彼女は多くの歌謡曲の作詞をすると共に、多くの合唱曲・校歌などの作詞もしており、シャンソン、ミュージカルなどの訳詞もしています。
岩谷時子
そこでまず、まず越路吹雪の「愛の賛歌」と「サントワマミー」をお聞きください。
越路吹雪は「魅せる歌手」と言われましたが、それに対して岸 洋子は「聴かせる歌手」と言われていました。
それでは岸 洋子の「夜明けの歌」を、お聞きください。
岩谷は意外な人の歌も作詞しています。それはフランク永井で、「妻を恋うる唄」で、また彼のために「おまえに」を書いています。フランク永井はもともとジャズを歌いたかった人ですが、彼の才能を見こんだ吉田 正が新しい歌謡曲の波を起こさせようとします。
「妻を恋うる唄」の自筆原稿
吉田 正夫妻の暖かい交流で、彼は歌謡曲に新境地を開きます。岩谷はそんな岩田夫妻の温かい人柄に触れるとともに、フランクの声、態度に誠実な人柄を見出だして行きます。
吉田 正夫妻
そして結婚をすることのなかった岩谷ですが、中睦まじい吉田夫妻をイメージに、「おまえに」を書きます。フランクはそれに応え、大人の歌としてヒットを勝ち取っていきます。
「おまえに」の自筆原稿
フランク永井の「おまえに」をお聞きください。
おまえに
作詞:岩谷時子
作曲:吉田正
そばにいてくれる だけでいい
黙っていても いいんだよ
僕のほころび ぬえるのは
おなじ心の 傷をもつ
おまえのほかに だれもない
そばにいてくれる だけでいい
そばにいてくれる だけでいい
泣きたい時も ここで泣け
涙をふくのは 僕だから
おなじ喜び 知るものは
おまえのほかに だれもない
そばにいてくれる だけでいい
そばにいてくれる だけでいい
約束をした あの日から
遠くここまで 来た二人
おなじ調べを 唄うのは
おまえのほかに だれもない
そばにいてくれる だけでいい
「旅人よ」は弾 厚作(香山雄三作曲)ですが、加山雄三でお聞きください。
フランク・シナトラでヒットした「マイウエイ」はポール・アンカ作詞でした。それを岩谷作詞では、尾崎紀世彦は次のように歌っています。
ザ・ピーナッツでヒットした「ウナセラディ東京」を伊東ゆかりさんは、次にように園まりさんと歌っています。本当は一人で歌って欲しかったのですが、デュエット部分があるため止むを得ません。伊東ゆかりさんには先に、岩谷訳詩による「夜霧のしのび逢い」をしっとりと歌っているのを紹介しています。
岩谷時子さんは2013年10月25日、93歳で帰らぬ人となりました。たくさんの良い音楽を残してくれたことに感謝して合掌。
●少し大きな写真と特性などは、右サイドの その他の写真 に載せますのでそちらもご覧下さい。
●関連の記事が 随 想 にもありますので、ご覧ください。
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コメント
ユキ先生こんばんは^^
私の母は越路吹雪さんが好きだったので、
越路さんの歌をレコードでよく耳にしていましたし、
先生がご紹介している歌手の皆さんの歌は
子どものときに耳にしていたので、
岩谷時子さんの作詞(訳詞)の作品は
とても馴染みがあります。
様々なジャンルの歌の歌詞を作りだされたのも
それだけ岩谷さんの感性が豊かで、ご自身の中に、
引き出しをたくさんもっていらっしゃっていたからこそ
だと思います。
作られてからだいぶ月日が経っているのに
歌が今もなお歌い継がれているのも
人々の心に沁みていく、素敵な言葉を
紡がれていらっしゃったからだと
改めて感じました。
投稿: はるる | 2013年11月 1日 (金) 01時03分
今晩は はるるさん
少し前の女性にとって越路吹雪はとても大きな存在だった
でしょうね。お母さんがお好きでしたか
彼女は宝塚の枠にはまらず、自由奔放に才能を発揮した人でしたからね。
それにご主人や、岩谷など良い人にも恵まれていましたしね。
越路や岩谷の作った多くの歌は、伝統的な日本語の正しいアクセントと
美しいメロデイをあわせていましたから、語り伝えられる音楽になって
いるのですね。
岩谷は若い人の心も歌っていますが、段々と大人の心も表現してきて
いますので更に多くの人の心に共感を呼ぶようですね。
岩谷も本当の心を歌える多くの引き出しをもっていた人で、
惜しまれる人です。
投稿: プロフユキ | 2013年11月 1日 (金) 23時45分