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2013年3月21日 (木)

・京都歴史探訪:あなたは平安時代の才媛・和泉式部のその後を知っていますか

ある日新京極で映画(サッチャー)を見た後、京土産の店先をひやかしながら歩いていましたが、いつも気になっていた小さなお寺に何の気なしに入ってみました。お寺の縁起を読んでいると、なんと平安時代の歌人・和泉式部が出家して初代住職をしていたお寺・誠心院(せいしんいん)と分かりました。こんな修学旅行生の行きかう雑踏の中に、彼女が最後を迎えた寺がひっそりとたたずんでいるなんて驚きました。

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誠心院への道は四条河原町から西へ一筋西にある新京極通を北に進み、錦市場のある錦小路通をすぎ、蛸薬師通と六角通の真ん中の東側にあります。

 新京極通に面した誠心院は、平安時代の歌人・和泉式部に縁深く、和泉式部誠心院あるいは和泉式部寺ともいわれます。平安時代の1027年、上東門院彰子(藤原彰子)は、父・藤原道長に勧め、現在の京都御所東に東北寺誠心院を建立しました。藤原彰子999年に入内し、翌1000年に第66代・一条天皇の中宮となり、第68代・後一条、第69代・後朱雀両天皇を生んでいます。

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藤原氏全盛期の中宮として女官・歌人の紫式部(生没年不詳)や和泉式部らの才女を集めていました。

和泉式部(生没年不詳、978/974- 1014)平安時代の歌人で中古三十六歌仙の一人。

拾遺集』に多数入集、敦道親王との恋を記した『和泉式部日記』などがあります。

美貌と歌才に恵まれ、第63代・冷泉天皇の皇后・昌子に女房として仕えます。冷泉天皇の3皇子の寵愛を受けます。その後、夫・道貞と別居、親からも勘当されました。親王没1年後、親王の同母弟に寵愛されてその邸に迎えられ、正妃は家を出てしまいます。敦道親王との間の子も親王も相次いで喪います。
 寛弘末年(1008-1011)、藤原彰子に女房として出仕し、道長の家司・藤原保昌と40歳ぐらいで再婚しました。だが、1025年、娘・小式部内侍を喪います。これら相次いで身近の人を喪った後出家して、東北院内の小御堂に住し、朝夕に本尊・阿弥陀如来を詣でていたといいます。

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恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評され、また同時代の紫式部は「紫式部日記」で、「和泉式部という人は、手紙のやりとりが絶妙だけれど、倫理的には感心しませんね。気軽に走り書きした恋文の何気ない言葉にも色香が漂うといった才覚がありますが、尊敬するほどの歌人とは思いませんね」と批評しています。

寺名は、初代住持の和泉式部の法名「誠心院専意法尼」に因んでいます。その後鴨川の氾濫などで現在地の南(小川通一条上ル)に移転しています。近代、1872年、京都の再生のために通された新京極通(三条通-四条通)が境内を分断し、その後荒廃しました。

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 和泉式部歌碑「霞たつ 春きにけりと この花を 見るにぞ鳥の 声も待たるる」。江戸時代、脇に「軒端(のきば)の梅」が植えられており、これは式部が生前愛したものを後世に植えたものとされている。

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 境内に示されている和泉式部縁起絵巻」から。

宮廷歌人としてその名を馳せた和泉式部は、晩年、この世の無常を思い、来世に不安を感じていた。そこで女官2人と連れ立って、名高い性空(しょうくう)上人のいる播磨国書写山円教寺(兵庫県姫路市)へと旅立ちました。

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 和泉式部の歌に感じ入った性空上人は門を開け、和泉式部らと対面する。「女の身で西方浄土に往生する道はないものでしょうか」と問う和泉式部に、性空上人は「石清水八幡宮(京都府八幡市)の八幡大菩薩阿弥陀如来の化身ですから、この神様にお祈りすればよいでしょう」と教えました。

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 和泉式部は出家して、専意と名を改めた。そして長和三(1014)年三月二十一日、紫雲が軒先にたなびいて芳香が薫る中、極楽往生を遂げたのです。

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 一遍上人誓願寺でお札を配っていると一人の女性が現れ、女性は「誓願寺の額を南無阿弥陀仏に書き換えなさい。これはご本尊のお告げです」と言った。一遍上人が不思議に思って名をたずねると「私は和泉式部です。あそこに見える誠心院の小御堂が、私が往生したお堂です」と言って、石塔の辺りまで来ると、忽然と姿を消してしまった。

少し大きな写真特性などは、右サイドの 京の街角 載せますのでそちらもご覧下さい

関連記事が 歴 史 にもありますので、ご覧ください。

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