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2012年7月 2日 (月)

・京都歴史探訪・浦島伝説ととよを祭る元伊勢の社の籠神社(このじんじゃ)にお参りしました

先日、京都日吉町にあるかやぶき音楽堂でのザイラー夫妻のピアノデュオを聴きに行った際、足を伸ばして、天橋立にある籠神社にお参りしました。籠神社は丹後第一の大社で、天橋立創造の神話を伝える丹後一ノ宮です。籠神社は、伊勢神宮の神々がこの地から移られたということから、元伊勢と称されています。丹後王国の血脈を今に伝える海部宮司家の伝承は、私達を2千年前古代へと誘ってくれます。

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関 裕二の「古代史の謎」によれば、この籠神社は興味深い歴史を有しています。豊受大神とようけのおおみかみ)は卑弥呼の時代のトヨにつながり、トヨ出雲豪族の流れをくみ、水運などを支配して勢力を持っていた海部氏のリーダーであったと推定しています。何かしら、たたりを鎮めるために、伊勢神宮・内宮天照大神と共に外宮に祭られなければならない必然性があったとしています。

境内には浦島伝説の主人とされる倭宿禰命像(やまとのすくね)があり、倭宿禰命玉手箱を開けてけむりに触れて300であるという。

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  神社の説明によれば、神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮真名井原豊受大神をお祭りして来たが、祟神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑からお移りになって、之を吉佐宮(よさのみや)として一緒にお祭り致したとあります。また、その後天照大神は十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢に移られたため、この社は元伊勢と云われているとあります。

 籠神社にお祭りされている主神彦火明命で、またの名を天火明命(あまのほあかりのみこと)で、物部氏の始祖とされる「ニギハヤヒ」と同一人物です。相殿として豊受大神天照大神が祭られています。籠神社の伝承では、豊受大神が竹で編んだに入って、天から舞い降りたという。天の羽衣伝承の主人公として知られる豊受大神は、はじめ丹後半島に姿をあらわしています。一人のおきなが、比治の真名井沐浴している

受大神天の羽衣を盗み、天に帰れなくなってしまいました。仕方なく、おきなの子となり、万病に効く薬を作りおきなを豊かにするが、慢心したおきなに追い出されてしまう。裏切られた豊受大神ですが、やがて奈具の村にいたりようやく心が落ちつきこの地に留まったとされています。天の羽衣を盗まれた豊受大神は飛べなくなったため、籠に入ってこの世に姿をあらわしたと考えられているのでしょう。

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 籠神社の裏手に、真名井神社があります。遠くはるかな昔から豊受大神が祭られており、五穀農耕の祖神であり、開運厄除、衣食住守護、諸業繁栄を司どられ、水の徳顕著で生命を守られる。相殿に、罔象女命、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、神代五代神を祭っています。彦火火出見尊海幸彦・山幸彦神話山幸彦です。兄の海幸彦から借りた釣り針をなくし、困っていた時に塩土老爺(しおつちのおじ)が現れ、彦火火出見尊に入れ、竜宮城に行き乙姫から失くした釣り針を貰って3年後に帰ってきます。浦島太郎とほぼ同じ内容が語られています。

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 丁度穢れをはらい幸福を招く、茅の輪が設置されており、作法に従い茅の輪くぐりをしました。まず左の輪をくぐり、次いで右の輪をくぐり、次いで中央からくぐって境内に入ります。そのくぐる間に、「なごしのはらえ する人は、千歳の命 のぶというなり」と唱えます。

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鳥居のあたりに、さざれ石がありました。「君が代」に出てくるさざれ石で、長い年月を掛けて小石が砂と粘土に混じり、大きな岩となったものです。

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境内摂社には、天照大神の和魂、或は荒魂を祭る天照大神和魂社春日大明神社猿田彦神社があります。

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 これは伊勢神宮の内宮で、皇祖神である天照大神が祭られています。「日本書紀」の中で天照大神ははじめ大日霎貴(おおひるめのむち)という名前で登場し、この大日霎貴を分解すると「大日巫女(おおひみこ)」となり、邪馬台国卑弥呼と名前が通じます。

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 伊勢神宮にははじめ、天照大神が祭られていましたが、「独り身で寂しい」というので、丹後半島から豊受大神が連れてこられ、天照大神食事を供する神になったとされています。しかし女性の神女性の神をつれてくるには無理があり、豊受大神を祭らなければならなかった理由を隠しているようです。この豊受大神は、邪馬台国のもう一人の女王「台与(とよ)」に通じる名前です。興味深いことに、蘇我氏系皇族の名前などにの字がついており、また蘇我氏出雲は接点を持っていることが明らかになってきている。

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 「昔々浦島は…」と歌い継がれてきました浦島太郎は一体いつ頃の話かというと、8世紀に誕生した「日本書紀」、「古事記」、「万葉集」や「風土記」といった古代史を記す書物の中に、「昔々…」と浦島太郎のことを記録しています。8世紀宮廷人にはよく知られていた事実であり、後世に残さねばならない伝承だったのでしょう。浦島太郎の話しは、海幸彦・山幸彦と重なり、海幸彦・山幸彦はその後九州にわたり、神武天皇隼人族になり、大和に入り大和朝廷を確立することになります。また「古事記」では、九州の神武天皇が大和を目指して瀬戸内海に入ってきたとき、海のかなたから釣竿を抱えてに乗ったがやってきて、水先案内をしたと記しています。この男の様子は浦島太郎とそっくりで、何か暗示的です。

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籠神社のこの像は倭宿禰命像(やまとのすくね)であり、海部宮司家の四代目の祖とあります。神武天皇御東遷の途次、明石海峡に亀に乗って現れ、天皇大和の国へ先導したといわれ、さらに、大和建国功労者として倭宿禰の称号を賜ったとされています。

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 境内の案内板の横には池があり、のんびり亀の親子が日向ぼっこをしていました。籠神社は竹で正六角形連続模様で編まれており、六角形亀甲で、亀の象徴と考えられ、に乗って豊受大神は舞い降り、浦島太郎山幸彦に乗って竜宮城へ行っているのは偶然ではなさそうです。

少し大きな写真特性などは、右サイドの 京の街角 載せますのでそちらもご覧下さい

関連記事が 歴史 にもありますので、ご覧ください。 

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コメント

こんにちは。
籠神社 も 元伊勢 も何も知りませんでした。
古い古い時代の、神話や伝説と入り混じったような歴史も興味深く
ロマンをかきたてられるのですが、人物や地名などの読みに
ことごとくつまづいてしまって、なかなか本なども読めずに
うん十年と来てしまっています。
でも、ところどころ、私のほんの僅かな薄い知識にも
繋がるお話があって、ちょっぴり嬉しかったです。
様々な神話から昔話にいたるまで、どこかしらで繋がっている部分が
見つかるのも面白いですね。
フィクションでいいですから、一本こうと筋立てての古の時代の
物語を映像で見てみたいです。

投稿: ポージィ | 2012年7月 3日 (火) 11時30分

今晩は ポージィさん いつもコメント有難う御座います。

確かに神話に出てくる神様の名前は読みづらく、読む気をなくしますね。
ちょっと時間もできたので、少し楽しみながら歴史を読んでみようかと思っています。

どうも歴史に出てくる古事記や日本書紀は正しい歴史書と思っていましたが、
考えてみれば敗者の歴史的事実は抹殺されているようですね。

でもそれはおかしいと負けた一族や不遇な人々の想いが、昔話にして知っている
人には十分分かるように語り伝えられてきたようですね。

昔話の力恐るべしです。
それと「古事記」と「日本書紀」で、色々食い違いがあり、うっかりミスが露呈しているようです。

それらを類推していくと、何か怖い事実が浮かび上がってようでどきどきします。 

時代考証をしっかりした映像で、本当に見たいものですね。今のNHKの大河ドラマは不評の
ようですが、実際の生活はあんな形で、人々が想像しているような優雅な時代では
まだなかったようですね。

投稿: プロフユキ | 2012年7月 4日 (水) 00時09分

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