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2012年5月22日 (火)

・京都歴史探訪:散りツバキ、枝垂れ桜と天野屋利兵衛ゆかりの地蔵院

今出川通西大路の交差する白梅町の、一すじ南側に一条通があります。この通りは最近では妖怪通として知られ、店先に色んな可愛い妖怪が並べられています。西大路から東側のこの一条通に入った右側に、ツバキの寺として知られる地蔵院があり、洛陽三十三所観音霊場第三十番札所にもなっています。

この寺には有名なものが二つあり、一つは散り椿で、もう一つは義商として知られる天野屋利兵衛の墓があります。

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地蔵院の正式名称は昆陽山地蔵院ですが、ツバキの寺の愛称で親しまれています。寺の前庭には北野大茶湯の縁により秀吉から寄進されたといわれる「五色八重散椿」があり、初代のツバキは枯死しましたが、現在は二代目で樹齢約120年の木が花を咲かせています。これは薄桃色や白色に咲き分ける五色の八重ツバキで、花ごと落ちずに花びらが一枚ずつ散る特徴があります。

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浪速の商人である天野屋利兵衛は、吉良邸討ち入り直前、赤穂浪士を支援していたとして大坂西町奉行所に捕縛され、厳しい拷問にあっても、「天野屋利兵衛は男でござる」と啖呵を切って自白しなかった話は、仮名手本忠臣蔵で有名です。

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赤穂浪士の内大石内蔵助の忘れ形見の存在に触れた小説「最後の忠臣蔵」とその映画化した同名の「最後の忠臣蔵」については、「・池宮彰一郎作「最後の忠臣蔵」の、美しい映像の映画を見ました」で紹介しました。

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天野屋利兵衛については、加賀藩前田家の家臣が直後に書いたものに、「大坂の商人天野屋次郎左衛門が赤穂義士たちのために槍を造ったかどで捕縛され、討ち入り後に自白した」の文書が残っています。また、赤穂浪士切腹から6年後に津山藩士がかいた、「大坂の惣年寄の天野屋理兵衛が槍数十本をつくって大坂西町奉行所に捕縛され、使用目的を自白させるために拷問にかけられたが答えず、討ち入りが成功した後にようやく自白した」という文章も残っています。

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しかし、これらのことは全くの作り話で、天野屋利兵衛は芝居が作り出した人物で、実在しないとの言うのが定説となっています。

一方、天野屋利兵衛を裁いた大坂西町奉行は、松野助義(在任1701~1704年)で、吉良邸討ち入り後、利兵衛義侠心に感銘した松野助義は、死罪を免じ、大坂からの所払いという軽い判決を言い渡しています。天野屋利兵衛は、この判決を受けたのち京都に移り、智恩院の近くで悠悠自適の生涯を送ったようです。

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寺のパンフレットによりますと、赤穂浪士の義挙に参画した堺の商人天野屋利兵衛は、堺の町人で茶人であった百舌屋宗安紙屋川ほとりの地蔵院内瑞雲庵という茶室を建てたという先輩の昔にあこがれて、晩年当院に隠棲し、義士の冥福を祈ったとされています。

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天野屋利兵衛の墓はこの地蔵院の他に大阪・薬王寺、東京・泉岳寺と京都市下京区・聖光寺にもあるようです。又、利兵衛の出身地と伝えられている岡山県英田郡西粟倉村には「にしあわくらの民話」が残り、討ち入りに武器を作った「たたら製鉄跡」と大石内蔵助が武器を受け取った際、利兵衛に感謝を込め、色紙を贈ったのが、地元の寺院に残っているそうです。

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赤穂浪士討ち入りそのものは、当時江戸以外ではあまり世間の話題には実際のところなっていないという記録もあり、後になって仮名手本忠臣蔵などの影響を受けて一般に広がったものと思われます。

しかし、先に書いたように事件直後の記録もあり、また誰か武器などの調達をした商人のかかわりがあったことは確かなことでしょう。

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当時の幕府にとっていわばお上の裁きに逆らった義士の討ち入りであり、当然この商人の追求はあり、大坂西町奉行によるこの商人の所払いは当然あったことでしょう。また商人お上に対する遠慮から当然名前を変え、逼塞していたことでしょう。

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今となっては、事の真偽は不明ですが、私としては散歩道の直ぐそばに、こんな歴史的事実のよすがを見ただけで、赤穂浪士の義挙に力を貸した浪速商人に思いを致した次第です。なぜか一輪、墓の前に散り椿が残っていました。

少し大きな写真特性などは、右サイドの その他の写真 載せますのでそちらもご覧下さい

関連記事が 歴史 にもありますので、ご覧ください。 

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コメント

こんにちは。
 
素晴らしい椿があるのですね。微妙に違う花色が咲いて
散るときはポットリ落ちるのではなくバラバラに散るのですね。
多くのサザンカがそうであるように。
 
その散椿の画像に乗せての天野屋利兵衛のお話、興味深かったです。
忠臣蔵は大筋は知っていても、天野屋利兵衛も登場したかも
しれませんが覚えていませんでした。
真実はどうだったのか知りようもありませんが、どうだったのだろうと
想像し、過去の人々のドラマに思いを馳せるのは面白いものですね。

投稿: ポージィ | 2012年5月22日 (火) 10時57分

京都には椿と桜がに良く似合いますネ。ずっと以前、冬に大原三千院を訪れたことがあります。その時雪が降りそこに椿が落ちた光景を見ました。まるで一服の絵のようでした。しだれ桜は一度だけ円山公園で見ました。冬の椿の時もそうでしたが、こちらは朝だったためあまり観光の人もいなくて、これも感動しました。それ以来私の京都の風景には椿と桜があります。アッ、蛇足ですが、もう一つ、詩仙堂の都忘れもあります。これも京都にはよく似合っていると私は思うのですが、もう咲いているでしょうか。

投稿: 木漏れ日 | 2012年5月22日 (火) 20時05分

今晩は ポージィさん sign01
椿にも色々あるものですね、サザンカのように花びらが一枚ずつ落ちるのも
あるんですね。それと微妙な色合いが違っているようで貴重な椿だと思います。sign01

朝鮮との文禄・慶長の役で加藤清正がこの椿を見つけて持ち帰り、秀吉に
献上したツバキのようですね。smile 

天野屋利兵衛はいわば忠臣蔵の出来事の裏方で、誰か武器や討ち入り道具を
用意した人がいるはずのところが、明らかにされないで闇に包まれていますね。happy02

投稿: プロフユキ | 2012年5月23日 (水) 00時19分

今晩は 木漏れ日さん sign01

三千院も詩仙堂も、大好きなところです。どちらも人のいないときを狙って
行きます。lovely note

冬の三千院はいいですね、雪の積もった庭をジット眺めたり、近くの茶店で
コタツに入り甘酒をすするのもいいですね。shine notes

京都のよさを知って貰うには、寒い時期か早朝がお勧めですね。smile

詩仙堂はいつ行っても良い所ですが、都忘れは気が付きませんでしたが、今頃は
ツツジが綺麗ですね。それと藤が咲いている頃でしょうか。smile

投稿: プロフユキ | 2012年5月23日 (水) 00時29分

楽しいレクチャーありがとうございましたshine懐かしく拝見いたしました。
しかし「妖怪通り」になっているとは・・・w(゚o゚)w京都のような街でも刻一刻様変わりしているのですねsweat01
「妖怪」で思い出しましたが、変な話ですが2度ほどこの世のものではない{と思われる}存在に遭遇しましたthunder何かで読んだのですが中国などの人間の歴史の詰まったところはそういうものが多くオーストラリアなど新興国は少ない、とか。その理屈でいえば、当然京都のような密度の濃い歴史の街は当然といえば当然かも・・・。

投稿: あむわん | 2012年5月24日 (木) 14時06分

五色八重ツバキっていうお花があるんですねhappy01
ツバキは花ごと、ゴロっと落ちるので、縁起が悪いと小さい時
聞いた覚えがありますが、八重椿は一枚ずつおちるんですねnote
歴史は、年表覚えとか嫌な思い出しかないですが(笑)
色んな人が、ほんとに生きてた事考えると面白いんですねnotes

投稿: たらちゃん | 2012年5月24日 (木) 18時18分

今晩は あむわんさん sign01

一条通も様変わりして、商店街が生き残りをかけて妖怪通として、立命の学生
なんかの手を借りてイベントをしていますよ。happy01

妖怪というかお化けも、人の多いそして歴史に古いところには、たくさん住んで
いそうですね。京都なんか一杯いそうで、それをお払いする陰陽師が今ブームですね。smile

イギリスでもお化けの出るホテルは料金も高いのですよ。学生を連れてそんな
貴族の館に泊まったのですが、女子学生も喜んで興奮してなかなか寝なかった
ようでした。delicious lovely

投稿: プロフユキ | 2012年5月24日 (木) 22時21分

今晩は たらちゃん sign01

五色八重の散椿は色もそうですが、花弁がひらひら落ちるので、秀吉もかえってそれを
面白がって、北野の大茶会にも使ったようですね。happy01

歴史はいやいや覚えさせられるとかえって拒否反応が起こりますが、楽しみながら
読むと私達の先人ですから、その行動にも理解できるし、人間味が出て面白いですよ。smile

今のところ目下の興味は、果たして聖徳太子は本当にいたのかどうか、研究者の中でも
異論があるようですよ。あまりにいい点ばかり残されて、子孫がまったく残って
いませんからね。不思議です。happy02 delicious

投稿: プロフユキ | 2012年5月24日 (木) 22時31分

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