・3月のある日、「宮沢賢治・詩と絵の宇宙展」に行ってきました。
3月のある日、ワイフと久しぶりに四条通に出かけました。高島屋デパートで開催されていた、安野光雅の「洛中洛外展」を見たあと、大丸で開かれていた「宮沢賢治・詩と絵の宇宙展」も見に行きました。
宮沢賢治は1896年(明治29年)に岩手県に生まれる2ヶ月前にマグニチュード8.2の三陸地震津波に、また亡くなる1933年(昭和8年)9月の半年前に、マグニチュード8.1の三陸沖地震に被災しています。彼は恵まれた家庭に育ちましたが、周りの人々が地震の被害を受け悲惨な生活状態にあったことが彼の脳裏に残っており、彼の生涯は天災、地震との戦いでもあったようです。
有名な作品「雨ニモマケズ」は亡くなる2年前の作品で、手帳にメモ書きされていたのが死後に発見されました。
「雨ニモマケズ」
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
英訳の「雨ニモマケズ」をyou tube からお聞き下さい。
●少し大きな写真と特性などは、右サイドの その他の写真 に載せますのでそちらもご覧下さい。
●関連の記事が 随想 にもありますので、ご覧ください。
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コメント
安野光雅展を見に行かれた日には、
こちらの展覧会にも足を運ばれたのですね。
宮沢賢治の作品は、小学生の頃から、
本当にたくさん読みました。
今でも、好きな作品世界がたくさんあります。
震災の後、東北地方に生きた賢治のことを、
さまざまな機会に思われることが
さらに多くなってもいるのでしょうか。
投稿: hanano | 2012年4月 7日 (土) 15時20分
以前盛岡で、「注文の多い料理店」を発行した光原社に行き、出版本や資料の展示もみてきました。庭にある「可否館」というカフェでお茶を飲みましたが、普通の街中の一角なのにそこだけとても風情があるんです…ユキ先生もいつか是非。
。
資料館では、この「雨ニモマケズ」の展示の前でしばらく立ち止まってしまいました。
サウイフモノニ ワタシハナリタイ。。。ってすごいなって思いました。
「雨ニモマケズ」の小さな書籍を購入しましたが、昨年の震災でこの詩が大きくとりあげられてしまっていたので、あえてブログには載せなかったんだ~、と今回思い出し~
偶然ですが、昨日、花見がてらの散歩中に「国際こども図書館」というのを見つけて、立ち寄ってみました。
ちょうど宮沢賢治と谷川俊太郎展を開催していて、「注文の多い料理店」の古書が展示してあったのですが、タイトルも右から左に書いてあり、欲しくなってしまいました。
投稿: いずみん | 2012年4月 7日 (土) 16時34分
こんばんは
安野氏の絵をご覧になった同じ日に、宮沢賢治の展示も
ご覧になっていらしたのですね。
宮沢賢治が苦しい生活をする人々のために尽力したことは
知っていましたが、その苦しい生活が地震と深いかかわりが
あったことには気づかずにいました。
だからこそ、彼の「雨ニモマケズ」の詩が、昨年の震災後
海外でも朗読されたのですね。
宮沢賢治は自然との共生を考えていた人のようにも思います。
彼の作品はあまり読んではいないのですが、
小学生の頃最初に読んだ「注文の多い料理店」「よだかの星」
「おいのの森」? などから、人々へも自然へも温かな目を
向けていたように感じました。
投稿: ポージィ | 2012年4月 7日 (土) 21時17分
今晩は hanano さん
欲張って、どちらも見たい美術展なので行ってきました。
賢治は2度も悲惨な地震被災者を見て、詩作の傍らにも農業指導に尽くしてきた結果亡くなった人で、今更ながらまだまだ人間の力の及ばないことを痛切に感じられます。

しかしユニークな童話や絵をたくさん残されていますね。見かけより想像豊かな人だったのでしょうね。惜しい人で、生前にもっと評価されていれば、また違った姿になったことでしょう。
投稿: プロフユキ | 2012年4月 8日 (日) 00時25分
今晩は いずみんさん 変わりはありませんか
盛岡にも行かれて光原社や「可否館」でお茶も飲まれたのですか。ご縁があったのですね。

私達の新婚旅行は東北でしたので、盛岡も懐かしいところです。今年は42回目でもう一度東北に行きたいと思っていますので、是非行って見ます。
震災の後はタイに行っていたので、賢治の詩が取り上げられていたのに気がつきませんでした。
ニューヨークでも賢治の詩が取り上げられていたので、今更ながらに賢治の詩の影響力の大きさに驚いています。
でもできれば生前にもっと評価さえれていれば、もっと多くの作品が生まれたのではないかと残念です。
投稿: プロフユキ | 2012年4月 8日 (日) 00時40分
今晩は ポージィさん
どちらも見たい展覧会でしたので、欲張って二つ見てきました。
賢治は2度も悲惨な地震被災者の生活を見聞きしていたので、農業で人々を救おうとした人のようです。
首席の成績で盛岡高等農林に入り、卒業後も助教授に迎えられようとしていたのに、それを断り現地で詩作の傍ら、農業指導に尽くされたようですね。
私も学校で習った「雨ニモマケズ」くらいしか知らず、他の童話なども名前だけでしたので、この機会にじっくり読んでみようと思っています。
英訳の詩もわかりやすく、世界中に彼の考えは広く受け入れられる事でしょうね。詩は短いけれど、その影響力は計り知れなく大きいですね。

投稿: プロフユキ | 2012年4月 8日 (日) 00時52分
よだかの星最初読んだ時の感動覚えてます




注文の多い料理店子供が音読する絵本
アイフォンに入れてます(*^-^)
色々かわいいです
雨にも負けず・・現代日本人が失くした素晴らしさが、あるような
投稿: たらちゃん | 2012年4月 8日 (日) 01時10分
今日は たらちゃん
よだかの星はアンデルセンの醜いアヒルの子に似た話ですが、最後は自己犠牲になった賢治の思いが込められていますね。
注文の多い料理店はなかなか奥行きの深い話で、子供にも分かりやすく書かれていますね。
たらちゃんの言うとおり、日本人がこの警告をもう一度思い出して欲しいものですね。

投稿: プロフユキ | 2012年4月 8日 (日) 12時55分
恵まれた家庭に生まれたのに、貧しい人々に心を寄せて生きた賢治は崇高な精神の持ち主だったのですね。
中学時代に習った、「永訣の朝」という詩が強く心に残っています。
死の床にある妹の願いを叶えに「曲がった鉄砲玉のように」外へ飛び出した賢治。
賢治の作品は童話でも、内容が奥深く難解ですが、、「永訣の朝」と「雨ニモマケズ」は平易な表現なので親しみ易いですね。
それにしても、絵を描いたり、ガーデンを設計したりとなんと多方面に秀でた才能を持った人だったのでしょう!
賢治は知り合いの新築祝いに香り高い紅い薔薇を贈り、その薔薇は「賢治の薔薇」といわれていますね。
私はまだ目にしたことが無いのですが、グルース・アン・テプリッツ(和名「日光」)をいつか実際に見てみたいと思っています。
投稿: 亜麻 | 2012年4月13日 (金) 10時38分
今晩は 亜麻さん
賢治は優しい人で、感性豊かな人だったのでしょうね。直感で津波や地震には勝てない人間の

無力感を感じながらも、肥料の専門家としても農民のために戦った人ですね。
病気になった妹さんにも、すべてを込めてその看病に打ち込んだ様子が、あの詩からも感じられ
ますね。私は「永別の朝」は知らなかったのですが、丁度買った詩集にあり、読んでみました。
妹を思う賢治の心が痛いほど響いてきます。
「賢治の薔薇」は写真で見ただけですが、確かピンク色の柔らかな花弁で、弁数の多い
綺麗な花ですね。
投稿: プロフユキ | 2012年4月14日 (土) 01時04分
おはようございます
宮沢賢治は好きな作家の一人で、昔、岩手のほうまでいろいろ見学しに(?!)行きました。
この方の作品は味わいと深みがあって大変素晴らしいと、いつも思います。
投稿: きいろひわ | 2012年4月14日 (土) 07時04分
今日は きいろひわさん
岩手まで行かれたのは、それほど魅力的な詩人だったのでしょうね。
「雨ニモマケズ」は誰でも一度は習う詩でしたが、深い意味があったので3すね。
2度の大地震、津波の被災者からの被害実態を見聞きし、それを救おうとしたが、あまりにも大きな

自然の力の前に無力な人間の悲しみを歌った詩だったんですね。
投稿: プロフユキ | 2012年4月14日 (土) 17時35分