・京都御苑を取り巻く御所九門と御門を飾る菊の花や桃の瓦
京都御苑には、京都御所以外に、仙洞御所と大宮御所があり、またグランドのあった辺りに最近京都迎賓館が設けられています。学生時代とその後転勤で京都に引っ越し、あわせて20年京都に住んできましたが、ゆっくり京都御苑を歩いたことがなかったので、ゆっくり散策をしてみました。
京都御苑には九門、京都御所には六門があり、その位置を確かめながら歩いてみました。御所は東西700m、南北1300mあり、北は今出川通、西は烏丸通、南は丸太町通、東は寺町通に囲まれています。一周すれば丁度4kmあり、結構な運動になりました。
堺町御門:御苑の南面にある唯一の御門。蛤御門の変の際、新撰組はいち早く御門に駆けつけ、近隣の宮家に潜む長州藩兵を追い払い御門を守りました。京都御苑の南側で丸太町通に面しており、10月に行われる時代祭はこの御門から出ます。御門から反時計回りに、御苑の門を巡りました。
寺町御門:御苑の東側にある三門の一つで南から、清和院御門、石薬師御門へと続きます。
御門の屋根には菊の花模様の鬼瓦が乗っています。
仙洞御所:ここには警察詰め所があり、御門を守っています。学生時代に、芝生の上でウイスキー片手にだべっていて、おまわりさんに注意されたこともありました。
ます。
また角の築地塀の瓦屋根には、桃の飾り瓦が見られます。桃の飾り瓦は法隆寺塔頭山門の屋根にも、また桂離宮の表門にもあります。
清和院御門:御門から東を見ると、御門の後ろに大文字山がそびえています。五山の送り火の日には、御所からは良い眺めでしょう。
石薬師御門:御門からは御所の北側への道につながり、御所の角を入った北側には明治天皇(幼名・祐宮)が生誕された中山邸跡と、天皇が使われた井戸・祐井(さちの井)が残っています。
今出川御門:北側の今出川通に面する唯一の御門で、その北側には同志社大学と冷泉家があります。
乾御門:御所の西北に位置することから、西北の古名・乾(いぬい)にちなみ乾御門と呼ばれます。この御門から下立売御門までの四門が、御所の西側にあり、烏丸通に面しています。
中立売御門:御門を入ると、御所の公開日に開かれる宣秋門につながります。
蛤御門:正しくは新在家御門ですが、天明の大火(1788)で始めて開門されたことにちなみ、「焼けて口開く蛤」に喩えられ、蛤御門の通称で親しまれています。長州藩は武力でもって蛤御門の変(1864)を起こしました。御門を守る会津藩、薩摩藩、桑名藩との間で死闘を広げますが、御所に向けて大砲を撃った長州藩も敗れて敗走しました。
御門には、蛤御門の変の際の弾痕が御門の梁には残っているということです。
下立売御門:御門を出ると平安女学院があり、更にその西には元会津藩邸のあった跡に京都府庁があります。府庁にはヤマザクラとオオシマザクラの両方の性質を持つサクラ・容保 ( かたもり)桜があります。
建春門:御所にある六門の一つで、南東角近くにあり、東面にある唯一の御門です。
猿ヶ辻:御所の東北の角で鬼門に当たるため、塀の角が取られています。
猿神像:築地屋根には、鬼が去るようにと御幣を担いだ猿神像が安置されています。ここでは文久3年(1863)に尊攘派公家の姉小路公知が、幕府の刺客に襲われています。
朔平門:御所の北側にある唯一も御門で、今出川御門に通じています。
皇后門:御所の西北角にあり、西側にある三門の一つです。
清所門:皇后門の南にあり、御所の公開日には開かれ、この門が出口になります。
宣秋門:中立売御門から入った所に位置し、御所の公開日には開門され、この門が入口になります。かっては公家の参内に使われ、現在では葵祭はこの門から出発します。
建礼門:御所の正門で南面にある唯一の御門で、中央にあります。御所の承明門に面し、以前は御即位大礼などの儀式にのみ開かれており、現在では外国元首などの国賓来訪などの際にも開かれます。
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