« ・粉雪舞う京の都大路を駆け抜けた、都道府県別対抗女子駅伝 | トップページ | ・これから需要の伸びるチャイブの栽培と利用 »

2011年2月 1日 (火)

・久しぶりに太閤さんの有馬温泉で暖まってきました

有馬温泉は、京阪神のどこからでも便利に行ける温泉である。しかし、鉄道や車の便のなかった昔では、奥まったひなびた温泉で、限られた人しか楽しむことはできなかったであろう。有馬温泉の歴史は古く、神代の昔に大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の2神が、傷ついた3羽の鳥が湧き出した泉で傷を治しているのを見つけたことから、温泉が発見されたとしている。「日本書紀」にも舒明天皇(631年)や孝徳天皇(647年)が御幸したとの記録が残っており、日本最古の温泉といわれている。

A1

有馬温泉が広く世に知られるようになったのは、聖徳太子により594年に極楽寺が創建され、奈良時代行基温泉寺を建立したことと、さらに鎌倉時代仁西上人が十二の宿坊を立ててからといわれている。有馬温泉に繁栄をもたらしたのは、太閤秀吉である。秀吉ねねを伴い、また千利休連れてたびたびここで茶会を開いた。戦乱や大火で衰退していた有馬の改修を行い、湯山御殿を立てねね懐妊を願ったとも言われている。そのためからか有馬温泉は、今でも子宝の湯として有名である。秀吉1598年にこの世を去るまで、実に9回~15回も有馬温泉湯治に訪れている。極楽寺1996年に庫裏を再建するため解体した際に秀吉湯山御殿跡遺構が発見されている。

A2jpg

A3a

温泉街の中心の河川敷には、親水公園がある。この河川敷六甲川滝川が合流し有馬川となる箇所で、阪神・淡路大地震のあった1995年に親水公園として整備された。この公園をはさんでねね太閤橋が架けられ、ねねにはねねがあり、太閤橋を渡ったところには太閤像があり、今も仲良く見つめあっている像が見られる。両像の作者は、共に彫刻家新谷英子さんである。

A4a

A5a

江戸時代に入ってからは、その効能により全国でも有数の湯治場となった有馬には、多くの人が湯治に訪れ、有馬千軒と言われた繁栄の基礎を築いた。有馬温泉泉源の多彩なことが特色で、中でも鉄分を多く含んだ温泉が空気に触れて酸化し、赤くなる「金泉」が有名である。泉源の温度は84-98℃で、温泉街の露地を歩いているとごぼごぼと音を立て白い湯気を上げる泉源に出くわす。温泉効能は、切り傷・火傷・慢性皮膚病・虚弱児童に、また慢性婦人病に有効とされている。

A6a

昔懐かしい有馬の土産に、炭酸煎餅がある。この創業は古く、明治61873年)がその起源とされている。江戸時代には「毒水」と恐れられていた炭酸泉飲用にも適した天然水であることが明らかとなり、小麦粉、砂糖、塩にこの炭酸泉を加えて煎餅にしたという。適度の甘さで、サクサクとした歯ざわり感があり、価格も手ごろで根強い人気がある。三津森本舗では、焼きたての煎餅の試食をさせてくれる。

A7a

ホテル、旅館には色々あり、手ごろな値段から豪華なものまで色々ある。忙しい人には「太閤の湯」があり、手ぶらで行っても10時から23時まで、各種の温泉と食事を楽しむことができる。入館料はタオル、館内着付けつきで、大人一人2400円である。神戸電鉄有馬温泉駅から、無料送迎バスの便もある。

車で行って温泉街を歩いたり、温泉に入りたい人には、池之坊満月城ホテルの駐車場が広くて便利。途中に狭い道があるが、誘導してくれる人がいるので安心。

A8

関連の記事が 日本の街角 にもありますので、ご覧ください。

|

« ・粉雪舞う京の都大路を駆け抜けた、都道府県別対抗女子駅伝 | トップページ | ・これから需要の伸びるチャイブの栽培と利用 »

・日本の街角 Hilights of Japan」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/562363/50743496

この記事へのトラックバック一覧です: ・久しぶりに太閤さんの有馬温泉で暖まってきました:

« ・粉雪舞う京の都大路を駆け抜けた、都道府県別対抗女子駅伝 | トップページ | ・これから需要の伸びるチャイブの栽培と利用 »