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2010年12月12日 (日)

・天神信仰発祥神社であるかわいらしい文子天満宮

先日、ひと・まち交流館(河原町五条下る東側)3階にある京都市福祉ボランティアセンターで、京の園芸福祉の会議があった。少し早めに行ったので、河原町通りの横切って西にある、「渉成園」(枳殻邸)がどうなっているかのぞきに行った。途中で文子天満宮の案内図があり、そちらに興味を引かれて行ってみることにした。

多冶比文子の像

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文子天満宮の祭神は菅原道真公で、東本願寺の東、烏丸通と河原町通りの中間やや烏丸通よりに在る。東本願寺の正門からいくと、数珠屋町を東へ徒歩5分ほどで、東本願寺の飛び地庭園「渉成園」の北にある。

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案内図

文子天満宮は先日紹介した北野天満宮の発祥になる神社である。菅原道真が大宰府で亡くなって40年後、道真の乳母であった多冶比文子たじひのあやこ、巫女であったとの説もある:北野天満宮)の夢枕に「われを北野の右近の馬場に祀れ」との道真のお告げがあった。しかし、文子の家は貧しく、とりあえず西京七条二坊の自宅の庭に祠を建てて道真を祀った。

その後、近江比良宮禰宜神(みわ)良種3歳になる息子の太郎丸にも、「北野辺に鎮座したい」とのお告げがあった。太郎丸へのお告げでは「一夜のうちに松が生える奇跡の起こる地に我を祀るように」とありました。すると北野の右近の馬場に、宣託のとおり一夜で千本の松が生えたため、文子と神良種は北野朝日寺の僧・最鎮と相談して、祠を設けたのが北野天満宮のはじまりとされている。この伝説をもつ松が、今も北野天満宮の一ノ鳥居を入ったところにあり、それが影向(ようごう)の松である。現在の松はその何代目かに当たる松とされている。

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文子天満宮

道真公の御霊が北野に移された後の文子の住居跡は文子天満宮となり、現在に至っている。以後、文子天満宮は天明の大火、安政、元治の大火で焼けたが、その都度再建され明治に至り村社となっている。明治6(1873)北野天満宮(境内の北東部)に移されているが、文子天満宮が「天神信仰発祥の神社」と門前に掲げる理由がここにある。

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天神信仰発祥神社の石碑

鳥居脇にはきれいなブルーのシコンノボタンが咲いており、さらにその左には天神信仰発祥神社の石碑があった。境内に入って右側に多冶比文子の像があり、こじんまりしているが女性の社らしくなかなかきれいな天満宮であった。

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シコンノボタン

関連の記事が プロフ・ユキの紹介する京の街角 にもありますので、ご覧ください。

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北野天満宮にある文子天満宮

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