・遷都と共に奈良から移って来た桜の名所・平野神社
平野神社は奈良の平城京の宮中に祭られており、御所や都の災いを鎮めるお守りをしていました。794年に桓武天皇の平安遷都に伴いこの地に鎮座してきた神社ですが、神社ごと京都に移ってきたのは、数ある神社の中でもここ平野神社だけです。最近修復された大鳥居の社号額には「平野皇大神」(ひらのすめおおかみ)とありますが、それは旧官幣大社であったことから「平野大社」とあったのを、伊勢皇大神などと同様(平野皇大神.平野皇大御神)に尊称されていたため、由緒ある神号「平野皇大神」に改められました。
平野神社鳥居
鳥居をくぐってすぐの風格ある南門は1651年に御所の旧門を下賜されたもので、1943年に現在の大鳥居の位置から南門として移築されました。横の社務所では「平野皇大神」に身を祓っていただく各種のお守を購入できます。手水舎(ちょうずや・てみずや)の御神水は地下100mからくみ上げた水で、飲み水やお茶用に持ち帰る人も多いようです。ここで俗界の穢れを落とすため、神前に立つ前に必ず手を洗い、口をすすいで身と心を清めましょう。
南門
南門をくぐってすぐ左手に、磁鉄鉱が川で流される際に自然に角の取れ丸みを帯びた日本最大の餅鉄(べいてつ)が陳列されています。重さ200kgあり純度も非常に高く、この餅鉄をなでると気力を授かるという。餅鉄のすぐ向こうに神木である、巨大な楠の大木がそびえている.樹齢400~500年、周囲6.68m、高さ約25mあり、祈りをこめて楠の周囲を巡ると、やはり運気が授かるとか。
日本一の餅鉄
拝殿は1650年に東福門院(後水尾天皇中宮・徳川秀忠の娘)により建立され、内部には江戸前期に近衛基煕による書と海北友雪による三十六歌仙の絵があり、非常にみごとなものです。
江戸時代初期に再建された重要文化財の本殿は比翼春日造といって大変珍しい造りで、神社が東向きになっているのは宮中神であったことによると説明にあります。平野神社の祭神は四柱の神様で、それぞれの神様を総合して平野皇大神とお呼びするようです。皇大神とは、神様の中でも最も位が高い事を表しています。日本国内で8万以上ある神社の中でも、伊勢神宮など5つの神社しかない呼び方で、大変格式の高い神様であることを示しています。これは平野四神の御神徳が一体となって常に宮中と深い関わりを持ち、天皇をお守りしていた事実にほかなりません。参拝する際には、ニ拝 二拍手 一拝するのが、神社の参拝方法です。
そういった由来から宮中とのかかわりの深い行事も多く、紀元祭(2月11日)、祈年大祭(2月17日)、桜祭神幸祭(4月10日)、昭和祭(4月29日)、明治祭(11月3日)、新穀感謝祭(新嘗祭)(11月23日)、天長祭(12月23日)、大祓・除夜祭(12月31日)などがあります。
本殿
平野神社には原木の桜など貴重な品種や珍種も多く、その種類は約50種あります。円山公園の枝垂桜の祖の桜も含め、境内には約
400本の桜があり、春の夜桜は特に有名です。
10月頃から十月桜が咲き続け、訪れたときには寒桜が咲いていました。拝観料は無料で、いつ訪れても落ち着くところです。
桜のしおり
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