・梅棹忠夫による知的生産を現場で見る
「知的生産者たちの現場」(講談社、藤本ますみ)
この本は梅棹忠夫先生が大阪市大から京都大学人文科学研究所に移られ研究室を構える際に、秘書として先生の研究・創作活動を支えられた藤本さんによる、生の現場報告である。1984年に講談社から発行され、私の持っているのは第2刷版である。この本は現在は絶版であり、その後講談社文庫として1987年に発行されたが現在ではこれも絶版のようで、両本ともアマゾンで入手は可能である。
私が第1に興味深く感じた点は、「知的生産の技術」をかかれた梅棹先生の研究室がうずたかく資料に取り囲まれていること、また決してすいすいと原稿が書かれているわけではないことである。しかし、「知的生産の技術」を読んだほとんどの読者は、すきっと片付いた研究室で、鼻歌を歌うようにすいすいと原稿を書かれている先生を、想像している事だろう。
先生の留守に突然研究室を訪れた修学旅行の高校生達は、先生の机を見て、「わあっ、書類だらけだなあ」、「たくさんたまっているぞ」、「ほこりもたまっているなあ」、「ほんとだ」と生徒達は何でも見てしまっている。また、「先生の机の上は、いつもあんなふうなんですか。秘書がいても、あの書類は片づかないんですか」と驚きの声を上げている。
秘書の藤本さんは先生に代り、秘書がすることは先生の創作活動をお手伝いするだけで、仕事そのものは先生でなければ進められないことを説明している。
文章を書くということは「知的生産の技術」にあるが、
二つの段階からなりたっている。「第一は、考えをまとめるという段階である。第二は、それを実際に文章に書き表す、という段階である。」普通の人には文章を書くというと、第2の段階だけで書けると思っている人が多いのではないだろうか。
実際に大変なのは何を書くか、どのように論点を絞るのか、そのための材料は十分に集まっているのか、論理的に証明できているのかなどと、何かを読者に訴える文章を書くためには、かなりの準備が必要なのである。それらのほとんどは創造的で、他から引きうつして間にあうものではない。勿論資料にはきちんと引用を明記するが、それらの資料を使いこなして、新しい考えをつくり出すのでなければ創造活動にはならない。
ある程度イメージのまとまったものができて、初めてまとまった文書が書けるものだと思う。イメージが豊富で、豊かな想像力が無ければ、創造的な文章は書けないものだと思う。
梅棹先生もかなり知的活動の手順を書いておられ、私達にはよく理解されるが、まとまった仕事ごとに具体的な進め方は千差万別で、そこは各自が苦労して取り組むしかないと思う。
十分な時間的余裕が無ければ、いくら部屋が広くても、秘書がいても、仕事は片づかないし、机の上は書類に占領されるだろう。思えば、英国ワイカレッジのシュワーベ先生の書斎も、机の上といわず下といわず、書類が散乱していたことを思い出す。
梅棹先生の資料が多いのは、先生のような野外フィ-ルドでの仕事も関係しているだろう。同じ人文科学研究所に居られた会田先生の場合はまったく異なり、郵便物でも玄関脇のメールボックスで取捨選択し、ほとんどの郵便物はその場ですてられる。必要な手紙も封筒は捨て、中身だけを研究室に持っていかれる。所狭しと書類やファイルが置いてある梅棹研とは異なり、会田研はすきっと片づき、花瓶にはお花がいけてあるという。
第2に興味深かった点は、郵便物の整理である。先生は毎日自宅からも、送られてきた手紙、本や雑誌を研究室に風呂敷に包んで持ってこられる。薄い手紙や、分厚い本、雑誌などの整理が、藤本さんにより分けられていく。このあたりは、私も現在悩んでいる、郵便物の整理に役立てられる点が多い。雑多な大きさ、内容で本当に整理に困る対象である。もっとも例え分けられても、それを片付け、適正に処理するのは私の仕事であるが。
知的生産者たちの現場(講談社、藤本ますみ)
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知的生産者たちの現場(講談社文庫、藤本ますみ)
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