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2010年8月20日 (金)

・京野菜の成立と技術的発展(その1)

これは20068月に農業生産技術管理学会シンポジウムで発表したもので、多少内容を変えて6回に分けて紹介します。京野菜の野写真は別に載せる予定でいます。

   

○京野菜の成立  

 現在では京野菜は全国の野菜産地から、故郷の伝統野菜の先鞭を付けたものとして、ブランド野菜を見直すシンボル的存在となっている。

京都の立地特性

京都は山に取り囲まれた盆地であり、夏は暑くて冬は寒く、温度の寒暖の差は激しいが、暴風に吹き荒れることはなく、比較的に野菜の栽培に適した穏和な環境だと考えられる。この盆地は南側にやや傾斜(0.7 %)をしており、まるで温室のフレームのように、低温期にも暖かくなりやすい条件を備えている。私は金閣寺の傍で西大路沿いに住んでいるがその高低差は、東寺の塔の高さ(57m)にほぼ等しいという。

西から桂川、加茂川、高野川が南側に流れ、最後には淀川に連なっている。これらの川は今までに何度も氾濫を繰り返し、上流の山地から肥えた土砂を京都盆地に運んで来たことであろう。これらの立地条件は京都で促成園芸の発達を当然促し、その名残は淀の苗作り産業としていまに残っており、これら京都で始まった促成技術はその後全国に広がっていった。

また京都盆地には地底深くに巨大な水瓶があり、盆地での湿度を保っていることが近年明らかにされている。京都盆地は遙か昔には琵琶湖と同様に湖であったらしく、その後土地の隆起などで沼地となりまた相次ぐ氾濫などで土砂の堆積があり、現在のような盆地が形成されたと考えられる。その湖であった名残は、北山の深泥が池や南部の巨椋池(現在は干拓地)に残っている。深泥が池では太古の植物が未だに残り、ジュンサイも健在である。水瓶の南端はちょうど伏見あたりに位置し、伏流水が伏見の酒を造っている。

A

         図1 南面の緩傾斜

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         図2 地下の水瓶

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        図3 京都盆地は昔は湖

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          図4 京の野菜

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